当時の私です

 昭和34年8月29日30日「人生劇場•青春篇」を日比谷芸術座で公演しました。

 東宝現代劇名作鑑賞会として尾崎士郎原作。村田修子脚色。演出、関きよし(劇団仲間)出演者は東宝に入ったばかりの劇団員で、2ヶ月の自主公演「今日を限りの」の成功の勢いのままに上演しました。

 「人生劇場」と言えば10数本の映画化と舞台も3回ぐらい上演されているが、うんと若い頃の東宝現代劇が上演しているのはあまり知られていません。

 無名のなりたての役者達の公演にしては、お客さんはよく入ってました。

 稽古している最中に映画スターの池部良さんがいらして色々教えて下さいました。

 芸術座では、その1年前に、J•リュシェール原作の「海抜三ニ〇〇米」を東宝撮影所の若手スターで公演してました。司葉子さんも出てました。

 この芝居は女優座でも公演するべく稽古を半年やったが中止になってしまいました。東宝現代劇同期の小鹿番君は三枚目をやり私は二枚目を
やりました。

 さて「人生劇場•青春篇」での私の役は悪役の甚でした。憎らしい役でした。

 当時NHKのテレビ中継をやっていて、知らずにスリッパを履いて出てしまいました。3場面出てたんですが、1番の見せ場の場面でのミスをしてがっくりです。

 でも私にとっての舞台は人生劇場そのものでした。