シャネル主催のモバイルアート展inTOKYOに足を運ぶ。

モバイルアート展は文字通り、移動可能な美術展。
アメリカ・ロシア・東京と全国を転々としている。
会社の上司よりたまたまもらったチケット片手に
出向いたわけだが、会場はキャンセル待ちの長蛇の列。
「そんなにすごいのか?」というのが正直な感想だった。
入ってみるとmp3プレイヤーを与えられ、
ガイダンスにしたがって空間を歩き始める。
場に応じた音楽は想像力を掻き立てる。
そこで僕は気付く。
ここは完全に制御された空間なのだと。
個々の楽しみを尊重してきた美術が
計算されたガイダンスによって
タイミングを制御され、
機械的に愉しむことを強いられる。
これはブランドと似ている。
予めもった価値観は、ブランドロゴ一つによって
形作られ、物の本質はひどくぼやけてしまう。
価値観を強いられているわけだ。
モバイルアートもバックも、
シャネルというブランドによって
感覚を制御され、無意識のうちに意識を強要する。
それこそがシャネルの価値だと言わんばかりに。
そのブランドの力は決して目に見えないところに
介在していることだけは確かだと思う。

モバイルアート展は文字通り、移動可能な美術展。
アメリカ・ロシア・東京と全国を転々としている。
会社の上司よりたまたまもらったチケット片手に
出向いたわけだが、会場はキャンセル待ちの長蛇の列。
「そんなにすごいのか?」というのが正直な感想だった。
入ってみるとmp3プレイヤーを与えられ、
ガイダンスにしたがって空間を歩き始める。
場に応じた音楽は想像力を掻き立てる。
そこで僕は気付く。
ここは完全に制御された空間なのだと。
個々の楽しみを尊重してきた美術が
計算されたガイダンスによって
タイミングを制御され、
機械的に愉しむことを強いられる。
これはブランドと似ている。
予めもった価値観は、ブランドロゴ一つによって
形作られ、物の本質はひどくぼやけてしまう。
価値観を強いられているわけだ。
モバイルアートもバックも、
シャネルというブランドによって
感覚を制御され、無意識のうちに意識を強要する。
それこそがシャネルの価値だと言わんばかりに。
そのブランドの力は決して目に見えないところに
介在していることだけは確かだと思う。