今日、友人たちと話していて

色々と興味深い話題がありました。

 

1つは今を生きるってこと。

 

 

今を生きる

 

 

良く聞く言葉だねと話しながら、

それにしても

意味は良くわかんない…

 

言葉って本当に難しくて

今を生きるって色んな人が

そう言うけども、

 

そう言う人がどんな意味で

その言葉を使っているかは

同じではないと思う。

 

過去の出来事にずっと

囚われていて、

今を生きていない人に

向けている言葉であり、

 

未来をどうしたい、

どうなりたいということばかりを

考えている人に、

向けている言葉であり、

 

自分の望みがわからない人に

自分にもっと関心を持って、

自分のニーズを満たしていこうという

意味合いなのかもしれない。

 

もっと違う意味で使っている

人もいるだろうね。

 

 

でも、今を生きるという

フレーズが同じ訳で、

 

どういう意味合いで、

自分がどんな風に感じたかを

考えていくと、

 

少し今を生きるということが

何なのか?

わかるんではないかと思う。

 

私は今を全力で生きるという

意味合いで思っていたけど、

きっともっと色々な意味が

包括されてるんだろうな。

 

 

来世どうしたい?

 

来世をどうしたいか?という

話題の中で、

 

友人たちが話していることを

聞いていたのだけど、

 

自分の中に何にも浮かんでこない

ことに、ビックリした。

 

それは何か達観しているとか

でなくて、

 

その話題について考えてみても

自分の中に何も反応がないことに、

ビックリしている自分に

氣づいたって感じ。

 

なんで何にも感じないんだろう。

 

そんなことを感じながら、

友人たちの話を聞いていたんだけど

 

今世と来世の境目が

良くわからない…ということに

一応落ち着きました。

 

例え、この肉体を脱いだとしても

また新しい肉体に入ったとしても

自分は自分をやるんだろう。

 

厳密にいうと

それは同じ自分ではないのかも

しれないけど、

 

やっぱり自分に変わりないというか。

 

何となくそういうことを

感じたのだけど、

なんか自分の中ではまだ

しっくりきてない。

 

これはもう少し、

考えてみようと思う。

 

 

自分はどれだけ自分を理解しているのか?

 

これは、結論として、

ほんの一部しかわかってないと思う。

 

自分に関心を向けず、

自分のニーズを理解せず、

自分が目指したい方向が

わかってないと思う。

 

だから、もっと

自分の中にいつもいつも

湧き上がってくる

小さい声を聞いていくことが

大事だなと、

 

今日の話の中で、

改めて思った。

 

このことを意識してなかったので

この話題をしてくれたことに

感謝です。

 

 

 

この3つ以外にも

色々と話したけど、

 

自分の中に全くない視点からの

話を聞くことができるというのは

本当に大事だなと思う。

 

願わくば、もっと多くの人の

話を聞いてみたい。

 

そうしていくには

どうしたら良いのか?とも

思う今日この頃かな。