いつも読んでいただいて
ありがとうございます♪
長々続きました伊勢神宮の初参りも
今回が〆でございます
今回の伊勢神宮等々の神社めぐり
ですが、はっきり言って
瀬織津姫をめぐる旅と言っても過言
ではありませんでした。
今回の旅の出発点 天河神社は
正式名称は天河大弁財天です。
ここから、女性的な女神エネルギー
に導かれていたと言っても
過言ではありません
そして伊勢神宮の内宮で私が
女性的な印象を受け取ったのは、
やはり瀬織津姫の存在でした。
それから、瀬織津姫には命の源として
五穀を司る豊受売大神としての
別名もあり、
私達が参拝した日は新嘗祭だったと
いうおまけ付きです。
五節舞、五節の舞(ごせちのまい)とは、大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当の指示のもと、大歌所の人が歌う大歌に合わせて舞われる、4~5人の舞姫によって舞われる舞
この舞は、天武天皇の時代、吉野に天女が現れて袖を五度振って舞ったとの伝説に依拠している。天武天皇が天河大弁財天社を創建した縁起はこれであり、天空に現れた吉祥天は、神社所蔵の文書によれば、伊勢内宮の荒祭宮祭神撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(またの名、瀬織津姫)を指す。 五度、袖を振って舞う。袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられる。
Wikipediaから抜粋しました。
新嘗祭を調べていて、五節舞を
見つけました。その内容を読んで
びっくりしましたΣ(゜Д゜)
指が写っています💦
私達が外宮でお会いしたのは
新嘗祭の神事のために、供物を
運ぶ神官の列でした。
今思えば、かなりストレートな
メッセージでしたが旅行中は
全くわかっていませんでした
一日目の天河神社のクリスタルボールの
コンサートもですが、伊勢神宮の
この行列も20分ずれていれば、
全く遭遇しなかったのは
間違いないありません
あの時あの場所にいたのは
どちらも偶然ではないでしょう
そして熊野那智大社、飛瀧神社
熊野本宮大社 全て瀬織津姫の
名前が消された神社です。
今回の旅のキーワードは
最初から最後まで
女神=龍神=水=瀬織津姫でした
このことがこの先どのように
作用するかはわかりませんが、
何となくこれからの課題的な
気がします。
何事も気づく事が大事ですね。
たんたん先生にも言われたのですが
気付く事がまず大事ですね。
そして、受け入れること。
受け入れないと形を変えて来るからね
しかも、後に回すときつくなる
事が多いから。
この旅は私が思うには
瀬織津姫さまに気付く旅だったと
思います。
その先はわかりませんが
何かしらのご縁をいただけたの
かしら⁉
古代の素晴らしい神様と
ご縁をいただけたなら、
ただただ嬉しい限りです
そして、先程登場いただいた
たんたん先生のセッションに
行ってきましたので
次はその事について書きたいと
思います
最後までお付きあい
いただいてありがとうございます♪
追伸
瀬織津姫については諸説あります。
色々な方が本当に何年もご研究されて
いますが、なにぶん古事記・日本書記
にも書かれていない神様です。
私の書いた内容も受け入れられない
方もいらっしゃると思いますが、
私が自分の感じたままを書いています。
やっちゃってるね!と、
温かい目で読んでいただけたらと
思います(≧▽≦)
ありがとうございます♪
長々続きました伊勢神宮の初参りも
今回が〆でございます
今回の伊勢神宮等々の神社めぐり
ですが、はっきり言って
瀬織津姫をめぐる旅と言っても過言
ではありませんでした。
今回の旅の出発点 天河神社は
正式名称は天河大弁財天です。
ここから、女性的な女神エネルギー
に導かれていたと言っても
過言ではありません
そして伊勢神宮の内宮で私が
女性的な印象を受け取ったのは、
やはり瀬織津姫の存在でした。
それから、瀬織津姫には命の源として
五穀を司る豊受売大神としての
別名もあり、
私達が参拝した日は新嘗祭だったと
いうおまけ付きです。
五節舞、五節の舞(ごせちのまい)とは、大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当の指示のもと、大歌所の人が歌う大歌に合わせて舞われる、4~5人の舞姫によって舞われる舞
この舞は、天武天皇の時代、吉野に天女が現れて袖を五度振って舞ったとの伝説に依拠している。天武天皇が天河大弁財天社を創建した縁起はこれであり、天空に現れた吉祥天は、神社所蔵の文書によれば、伊勢内宮の荒祭宮祭神撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(またの名、瀬織津姫)を指す。 五度、袖を振って舞う。袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられる。
Wikipediaから抜粋しました。
新嘗祭を調べていて、五節舞を
見つけました。その内容を読んで
びっくりしましたΣ(゜Д゜)
指が写っています💦
私達が外宮でお会いしたのは
新嘗祭の神事のために、供物を
運ぶ神官の列でした。
今思えば、かなりストレートな
メッセージでしたが旅行中は
全くわかっていませんでした
一日目の天河神社のクリスタルボールの
コンサートもですが、伊勢神宮の
この行列も20分ずれていれば、
全く遭遇しなかったのは
間違いないありません
あの時あの場所にいたのは
どちらも偶然ではないでしょう
そして熊野那智大社、飛瀧神社
熊野本宮大社 全て瀬織津姫の
名前が消された神社です。
今回の旅のキーワードは
最初から最後まで
女神=龍神=水=瀬織津姫でした
このことがこの先どのように
作用するかはわかりませんが、
何となくこれからの課題的な
気がします。
何事も気づく事が大事ですね。
たんたん先生にも言われたのですが
気付く事がまず大事ですね。
そして、受け入れること。
受け入れないと形を変えて来るからね
しかも、後に回すときつくなる
事が多いから。
この旅は私が思うには
瀬織津姫さまに気付く旅だったと
思います。
その先はわかりませんが
何かしらのご縁をいただけたの
かしら⁉
古代の素晴らしい神様と
ご縁をいただけたなら、
ただただ嬉しい限りです
そして、先程登場いただいた
たんたん先生のセッションに
行ってきましたので
次はその事について書きたいと
思います
最後までお付きあい
いただいてありがとうございます♪
追伸
瀬織津姫については諸説あります。
色々な方が本当に何年もご研究されて
いますが、なにぶん古事記・日本書記
にも書かれていない神様です。
私の書いた内容も受け入れられない
方もいらっしゃると思いますが、
私が自分の感じたままを書いています。
やっちゃってるね!と、
温かい目で読んでいただけたらと
思います(≧▽≦)