今だからわかるのですが、母の心が壊れていくのと同時進行で、私の心も壊れていったのだと思います。
前回の記事はこちら↓
小学生当時の私は小食で・・・と言ったら、今の私を知っている人は、
「まーた冗談言って~」
と思うに違いないというくらい、小学生の時は給食が食べられませんでした
正確に言うと、犬山に住んでいた頃、保育園に通っていた時から食べられなくなりました。
今でもよく覚えているのが、土曜日は保育園の給食はサンドイッチで、それがどうしても食べられなくて、家に持って帰ってきていました。
サンドイッチは3種類あり、タマゴは何とか食べられたのですが、キュウリがどうしてもダメでした。
その他にも、保育園の行事でお餅つきをしたことがありましたが、このお餅も飲み込めなくて、いつまでも口の中でモゴモゴしていた記憶があります
家庭内が荒れ始めたのがこの頃だったので、心因性のものだったのかも
そんな訳で、特に小学生の時はガリガリで貧血気味で、保健室の常連でしたね
話は戻り、私が小学4年生ぐらいから、私に対しての母の態度が厳しくなってきました。
ちょっとしたことで怒る…というより、
「なぜ今、怒られているんだろう?」
と疑問に思うようなことで、母は激怒していました。
何しろ、なぜ怒られているのかわからないので、とりあえず
「ごめんなさい」
と謝るのですが、
「心がこもってない!」
と言い直しを命じられたり、
「土下座しろ!」
と言われたりしました。
小学生でしたが、理不尽なことで土下座させられるのはオカシイ、と知識だけはあったので、この時の私は母から蹴られても絶対に土下座なんてするもんかと思っていました。
※そのため、余計に母の怒りをかってしまいました
母はどんどんエスカレートしていき、私に対して
モノを投げつける、どつく、蹴る、冷たい床に正座をさせる、罵声を浴びせる、家(と言っても寮ですが)から放り出す…
ということをやってきました。
極めつけは、包丁を持って追いかけられたことでしょうか
改めてこうやって文章にすると、完全に虐待で毒親なのですが、当時の私は、
「母がこのように怒っているのは、自分が悪いからだ」
と思っていました。
だがしかし、心の隅っこでは、
「何だかウチのお母さんは変なのでは?」
とも思っていました。
特に、同級生の家に行った時は強く感じました。
その時の記事がこちら↓
思っていたんですがすぐにその考えは打ち消し、子供だった私は
「親は絶対的なもの」
だと信じていたため、間違えるはずがない、やはり自分が悪い子だからなんだ…と思いながら日々を過ごしていました。
今日も命があることに感謝
ありがとうございます