平成30年7月豪雨で亡くなられた方に心よりお悔やみ申し上げます。

また被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。
ワシの大好きな広島も大きな被害で、現地の写真や動画を見て呆然としておりました。
あれから2ヶ月経ちますが、まだ完全に元通りになった訳ではありませんが、1日も早く復旧することを祈っております。

またまた放置してしまった当ブログ。
7月は3週間連続で広島へ行ってました。
7月15~16日は、推しグループMAPLEZの撮可イベとオフ会。
7月20日は、推しメン小泉明音の、MAPLEZ卒業ライブ。
7月29日は、MAPLEZの解散ライブ。
とまぁ、毎週末は広島におりました(*´-`)
ライブ中心の生活ではありますが、それでも空いた時間は鉄活動をしてました。
しかし今日は7月の鉄活動ではなく、5月の鉄活動についてです。
大昔に広島へ行った所を巡る旅をしたわけです。
去年の夏に続いての活動だったんですけどね。
この話は前々回くらいのブログ記事でも、ちょっと触れたと思います。(多分ね)
んで今日は昔訪れた瀬野駅と、今年の5月に訪れた瀬野駅の、今昔について記事を書きたいと思います。
 
昔の写真は1984年3月27日撮影、今年の写真は2018年5月4日撮影です。
 
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えーっとですね、いきなりこんな写真で申し訳ないんですけどね。
初めて瀬野駅を訪れた時は、駅舎の写真を撮ってなかったんです。
幸い(?)5月に行った時、構内に昔の駅舎の写真が飾られてたので、取り敢えず記録として写しておきました(*´-`)
ワシが初めて行った時もこの駅舎だと思います。
この写真は平成元年に撮られたもののようですので。
 
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今の瀬野駅舎。
うーん、昔の面影なんて一切ありませんね。
近代的で綺麗な駅舎だと言いたいところですが、面白味は全くないです。
 
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Google Mapの航空写真で見ると、駅構内の西の方(広島方)に踏切らしき跡が見えます。
昔訪れた時、この踏切を渡りました。
構内の北側(写真上側)には瀬野機関区があり、EF59やEF67が沢山止まってました。
それを撮るために、この踏切を渡ったんです。
でも今は流石にこの踏切は廃止されただろう、きっとこれは当時からの名残だろうと思ってたんですね。
 
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ところがだ。現場に行ってみて驚いた。まだ現役で使われてました!
落合第三踏切というのが、この踏切の名前のようです。初めて知りました。
頻繁に電車や貨物が行き来する山陽本線ですが、こんな第四種踏切が現役で残っているなんて・・・。
久しく警報機も遮断機もない踏切を渡ってなかったので、意外と渡るのに勇気が要りました。
 
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その落合第三踏切で昔撮った写真。
彼方にEF59が2両見えます。
 
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ほぼ同じ場所から撮った写真。
手前にあった建物が無くなって、視界は開けてました。
 
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当時は50mmのレンズしか持ってなかったので、今年の写真をそれらしい感じでトリミングしてみました。
カーブの雰囲気から、間違いなく同じ場所と判りますが、何かもっと同じ場所と判るようなものがないものか・・・。
 
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昔の写真をよーく見ると、手前の架線柱に小さく「600」という文字が見えます。
今年撮った写真にも「600」の標識がありますね!
またその奥の支線ガードカバーの向こうに、「3」の標識があります。
 
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今年撮った写真にも物としては変わってますが、同じ「3」の標識があります。
65km/h(?)の標識もありますね!
またEF59が止まっていた場所にある柵も、現存していることが判ります。
34年経っても昔を偲べて最高や・・・(*´-`)
 
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同じく落合第三踏切から駅の方を撮った写真です。
駅の北側にあった瀬野機関区です。
 
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こちらが現在の駅。
配線が変わってますね。
 
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これまた50mmくらいの画角でトリミングしてみました。
ホーム手前にあった詰め所はなくなってますが、昔のホームは健在ですね。
もっともちょっと先からは、ホームが嵩上げされてしまってますが・・・。
あと機関区があった場所はすっかり変わってしまって、当時を感じさせる物は全くありません。
 
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これは先ほど昔の駅舎写真のあったところに掲示されていた、昭和31年瀬野機関区構内平面図です。
1番線の隣の待避線が、2番線だったようです。
現在はこの1番線と2番線の間にホームが移ったようです。
 
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これは落合第三踏切を渡った側から、踏切方面を撮った写真なんですが・・・。
 
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拡大してみたら、「落合」と「踏切」の文字が見えました(*´-`)
第三は隠れて見えませんが、多分第三と書かれてたんでしょうね。
 
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踏切から確かそのまま北へ、田んぼの中の道が真っ直ぐ伸びていたように記憶しています。
その田んぼの間から機関区を撮った写真です。
 
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そしてこれが、ほぼ同じあたりの場所から撮った写真。
ここに機関区があったなんて、誰も判らないでしょう。
 
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機関区とは反対には、EF59が4両留置されていました。
この田んぼと機関車の間に、細い道があったんですけど、車が止まってるので道がありそうなことは判りますかね?
 
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そして現在。
田んぼがなくなって、道が見えるようになりました。
手前にはファミマが出来ました。
 
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その道から当時撮った写真。
いいですか、みなさん。
 
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道の幅は変わり、周囲も変わりました。
が! 道の形状、ゆるやかに左カーブしてるところが同じですね(*´-`)
しかもですよ。
カーブの先に見える、青い屋根の家。
当時も今もあったんです!(・ω・)
 
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この家です。
手前に塀が出来、トタン部分は赤に塗られてますが、間違いなく同じ家です(*´-`)
昔の道を拡張して、現在の道路となったことが伺えますね!
 
34年の時を経て、ほぼ同じ場所から写真を撮って、当時と見比べる(これも定点観測の1つかな?)のはワシ大好きで、この瀬野駅訪問は大きな成果を得ることが出来ました(*´-`)
 
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最後に駅舎の北側まで歩いていくと、こんな案内板がありました。
ここに瀬野機関区があったことを、今に伝えています。