小さな話 4(再) | sgtのブログ

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歌うことが好きです。コロナ禍で一度はしぼみかけた合唱への熱が''22年〜むしろ強まっています。クラシック音楽を遅まきながら学び始める一方、嵐の曲はいまも大好きです。


匠は下働きの者たちが住まう部屋を二間与えられ、
小さい部屋を作業場とし、もう一部屋に女房とともに寝泊まりすることになりました。


お祝いの日は次の春。
材料も費用もすべて殿様持ちで、自由に製作してよいと信頼してもらえたことは有難いものの、
見たこともない奥方様への贈り物というのは、あまりにも難しい課題でした。


「おいららしいものをと言われてもなぁ…
雲をつかむような話で何も思いつかないや。

たとえば奥方様の好みだとか、何か少しでもわかるといいんだけど」


匠のつぶやきを聞いた女房は、
下働きの女中の雑用を手伝いがてらお喋りの輪に加わり、
奥方様がお里から連れてきたという女中と知り合うことができました。


その女中の話からわかったことは、
山国育ちの奥方様はおっとりとした気性で、この都の賑やかな雰囲気になかなかなじめず、
話す速さから もう違うので、次第に口をきくのも億劫になってしまい、
さらにお子に恵まれないのを負い目に感じて、いよいよふさぎ込むようになった、
ということでした。


「なるほど、殿様はいい人だけど、奥方様には奥方様なりの寂しさがあるんだな。

それにしても、都よりも山の方が好きというのは、おいらも同感だなあ」


「あら、あなたは職人さんたちに交じって活き活きしていたように見えたけど?」


「そりゃ、ああいう仕事場に入れてもらえば面白いけど、
あの町では職人同士での競争も厳しいらしいし、
そういうことで人と競ったりするのは、やっぱり好きじゃないな。

おいらは自由にものを作りたいんだ」


匠が、面白い刺激に満ちた都よりも山が好きだと言うと、
女房は百万の味方を得たような気がして、しみじみと嬉しくなりました。















奥方様付きの女中と仲良くなった女房は、
ある日、奥方様の部屋のすぐ近くの庭で仕事を手伝うことになりました。


すると、
何か懐かしい匂いがしますね、と部屋の中から声が聞こえました。


女中たちがはっとなって作業する手を止め、部屋の方へ礼をしたので、
女房もそれにならって膝をつき頭を下げると、
障子が開いて、中から人の出てくる気配がしました。


「匂いの主は…ああ、そなた。
顔を上げてごらんなさい」


廊下を静かに進む足音が、女房のすぐそばで止まりました。


女房が畏まりつつ顔を上げると、たいそう美しい婦人が興味深そうに女房の方に身を屈めていたので、
思いがけず近い位置で二人の目が合いました。


女房は、たいへん失礼しました、と再び礼をしながら、
きっとこの方が奥方様に違いない、と思いました。


見慣れない顔ですね、と言う奥方様に、
殿様が最近新たに雇い入れた職人の妻です、と女中の一人が説明しました。


「お庭先で、とんだお騒がせをいたしました」


「そんなことは構いません。

それより、そなたからは懐かしい花の匂いがします。

わたくしが子どもの頃、野山でよく摘んでいたような」


奥方様はそう言って、履物を出させて自ら庭に降りてきました。


奥方様が庭に出るなど久しぶりのことだったようで、
女中たちが嬉しそうにどよめきました。


「ああ、そう、この匂い…ふるさとの野山を思い出します。

この匂いは、香か何かなのですか?」


「いいえ、野育ちの身ですから、きっと体に染みついているのでしょう」


実は女房そのものの匂いでしたが、こう言うよりほか思いつきません。


「そうでしたか…もしこんな香りの香があるならば、ぜひ少し分けてほしいと思いましたが」


奥方様はいかにも残念そうに言うと、
これからしばらくここにとどまるのなら、ぜひまた顔を見せに来てほしい、
と女房に親しく声をかけて、部屋へと戻っていきました。


翌朝、急に呼び出しを受けた匠が殿様の部屋へ上ると、
殿様は、昨夜奥方様がこれまでになく明るい表情であったこと、
どうやらそれは匠の女房のおかげらしいことを上機嫌で教えてくれました。


そして、もし構わなければ、今日からでも女房を奥方様の話し相手としてよこしてほしいと匠に頼んだのです。


自分たちの部屋に戻った匠は、
いったいなぜ呼び出されたのかと気をもんでいた女房を安心させるように、
目尻を下げて笑いながら言いました。


「おまえがなんにも言わないから、
殿様から話を聞いて、おいらびっくりしたぞ。

それにしても、どうして奥方様はおまえのことを気に入ってくれたんだ?」


女房は、ほっとして答えました。


「黙っていてごめんなさい。

奥方様とじかにお話だなんて、出過ぎたことをしてしまったと思ったの。

奥方様はたぶん、わたしの…
花の匂いがよほどお好きなのよ。

障子の閉まったお部屋からでも、
懐かしい匂いだって、わたしの匂いを探しあてられたくらいだもの」


「そうか、匂いか…
花の化身のおまえならではだなぁ。

おまえの匂いはほんものだから、
野山で過ごしできた人なら誰でも、
好きになっちゃうんだろうな。

ああ、そうだ!

おまえのおかげで、
奥方様の贈り物の道筋が見つかりそうだ。

ありがとう!」


この日から、匠は技術を習いに職人町へ、
女房は女中の着物を用意されて奥方様の部屋へと、
それぞれの役割に分かれて過ごすようになりました。












(つづく)