記録として。去年の今頃の話です。

 

2025年7月27日に中国から帰国して、もうすぐ1年が経つ。あっという間の一年だった。去年の7/27、広州から出国して、羽田に帰ってきた。帰ってきてしまったのだなあ、という感じがした。その日に、高校時代の友人と新宿でそのまま会って夕食をとった。40kg近くある荷物を引き摺りながら会いに行ったので、流石にそれは驚かれた。

 

時をもう少し戻す。

 

当時、大学を卒業後、寮を出た後は、学生ビザが切れるのが7/31だったので、そのギリギリまで中国各地を周っていた。夏の暑い日が続いている中ではあったが、できる限り、自分の目で中国を見ておきたかった。

 

7/10 (だったと思う)に北京を出ると、まず向かったのは新疆だった。新疆では1週間くらい過ごしたと思う。全国津々浦々から100名ほどの外国人が結集して、新疆を訪問するというプログラムだった。渡りに船で、早速申し込んでみると、なんと当選してしまったのだった。

 

その後、新疆から北京に帰ってきて一泊。そして、上海に向かう。その時、上海に来るのは2回目で、かなりの雨が降っていた。雨の上海をタクシーのおじさんと回遊して、なかなか宿泊所につかない。しまいには、道案内をしてくれと言われて、いや、それが分からないからタクシーに乗っているのだがと思いつつ、右だ左だ色々と言っているうちに、どんどん雨が激しくなってきた。40分くらいかけて10kmくらいを移動して、やっと宿泊所に着いた。宿泊所からは、歩いて、韓国街に行った。上海では、友人にも会った。一緒に博物館を巡り、日本食屋で鰻を食べた。土用の丑の日だったのだ。こういう詳細は、こうして筆を取っているとどんどん思い出してくる。

 

上海に行った後は、蘇州に行った。蘇州は、水の都、東洋のベニス。水辺の近くの小さな雑貨屋に入ると、名前は何かと聞かれた。自分の名前が書かれたお守りのようなものを売っており、それを見せたいというのだ。当たり前だが、心も体も、そして名前も日本人なので、恐らく、私の名字はないだろうと思ったし、実際になかった。というよりもそもそも、日本人なのでないと思いますよ、と親切なのか不親切なのか、開口一番にお店の人に伝えてしまった。すると、まあ、漢字一文字だけでもいいから言ってごらんと言われ、王老吉の吉ですと言った。「吉」のお守りは、その店にしっかりとあった。流石に買わないわけにはいかない。しっかりと買って店を出てきた。

 

蘇州の次は杭州。アリババがあることでも有名なこの都市には、西湖と呼ばれる広い湖がある。この雅さと、伝統と、熱気とを感じるために、杭州に赴いた。朝から人が大勢いて、寺社仏閣にはそぐわないような音楽がかなりの音量でずっとかかっていた。その中をびっしりと咲く蓮をみながら、湖の周りをぐるりと歩いていた。歩いていると、蜜雪冰城を見つけた。雰囲気も何もないのだが、そうは言っていられないくらいに暑くて、そこで奶茶を頼んだ。いま思えば、中国にあって日本にないもので、一番ありがたかったものは蜜雪冰城かもしれない。最近は日本にも出店しているようだが (実際に、池袋でも見た) 、中国ほど気軽には寄れない。※そのほか、蜜雪冰城は、ベトナム、マレーシア、シンガポールでも見たことがある。

 

そして杭州の次が広州。どちらも日本語で読むと「こうしゅう」だが、中国語で読めばもちろん、どちらも違う発音になる。杭のこうしゅうから広いこうしゅうに移動してきた。この辺りは、広東語も聞かれる地域になる。普通話でさえ、広東語の訛りが多少入る。それが面白くて、好きだった。たとえば、这个という中国語は、拼音ではzhe geと書くが、広州ではzhe gaと言っているように聞こえることが多かった。このことは、後から広州の友人に確認したが、間違いないと言われた。広州では広東料理をたくさん食べた。まさに、食は広州にありということだった。出国の前日、最後に、広州タワーを拝んでおこうと思い、自転車を走らせて見に行った。祭りのように賑わう市を抜けていきながら、最後にようやく辿り着いた広州タワー。しばらくタワーを見上げてから写真を撮ると、その手前の広場を後にして、地下鉄駅へ下っていった。これで中国生活が全て終わるのだと思うと、感慨深いものがあった。と同時に、もう明日の今頃には、日本にいるのかと思うと不思議な感じがした。

 

翌朝、中国滞在最終日、宿泊所を出発したのは6時前だったと思う。空港までのタクシーを呼ぶと、リンゴを齧りながらタクシーのおじさんがやってきた。その後も、朝食の代わりなのかリンゴを食べ続けたままタクシーは走り続けて (朝食をとりながら、お金が稼げるのであれば、確かにいいアイデアだ)、余裕を持って空港に到着することができた。出国直前、記念にと思って、自分自身の写真を撮ったのだが、どこかとぼけているような、起き抜けの顔をしたその写真を見ると、今でも笑ってしまう。それくらい必死に、中国語見て、楽しんだ2年間だった。

 

いつかまた、中国に長く滞在することがあれば、次はもっと深く、あるいは、さらに広く、中国を知ることができると思う。その日が来るまでは、机上での中国語学習を地道に継続していきたい。大陸の熱気を、一心にまた浴びにいきたい。