悔しいですね。

演出を学ぼうとしなかったのですから当然の結果なのです。

見せ方次第じゃないですか。

芝居の上手い下手じゃないことは思い知らされてます。何度も何度も。


どう見せるかどこを見せるか。

誰に見せたいか、見てほしいか。

誰のための物語か。


わたしが今回書いたのは、わたしのための物語。

誰かのためじゃない、魔法を信じたかったわたしのための物語。


ジーンくんとは根本的に違うけれど。

わたしが書いたこのシリーズは独りよがりの、自己中話。

まどかがどうにかしたかった、わたしがどうにかしたかった話。


酷い話かもしれない。

でも、自分のためじゃいけないことはあるのか?

他人のためでないとダメな理由があるのか?

そう聞かれると、高校の演劇を思い出す。

県大会に出るために必要なことは審査員の先生たちが好むものを書くこと。

それは誰のためでもなく審査員のための話を書く。全然面白くなかったけれど、その時はそれが正解なんだと思ってた。

好きに書いていいよって言われているようでそうではなくて、見てくれるっていったのも見てくれただけだったかな。


ジーンくんはすごいよ。

いや、物語の人物たち全てすごいよ。

楽しませたい人を見つけたんだもの。


わたしは、ワガママなだけだ。

それに人を巻き込んでいるだけ。


本を直すのすら1人でできなくて、読んでもらって演じてもらって繰り返して。

指摘されるたびに、完璧じゃないからだ。


わたしがこれでやる、と言えば決まる話を言えもしないから何度も何度も直して直しすぎてよくわからなくなった。


わかりやすくすることは当たり前に大事なこと。

それを全部書きたがらないわたしの悪いクセ。

全部言え、全部教えろ…吐き出せ。

全部書け。


当然だ。

書いていなかった間に、才能の言うもの技術技量それを嫌になる程思い知った。

とても、いい機会だった。

理想のものに出会うと、納得がいく。

本も芝居も、演出も。

それは自分がやらなくていいということだ。


わたしが書かなきゃならない理由も、わたしが演じなきゃならない理由もない。


それなのに、ポストに出すことも、締め切りに間に合わせることもできないまま。

書いては大事に大事にそれを手放せないまどかに、理解など得られるはずもない。

お前はどうしたい、何になりたい、なにに執着してるのだ。


執着があるのならその手放せない何かをしめしてみろよ。

本に全て書きたがらない理由はわかってる。

間を埋めてほしいからだ。

納得させてほしいからだ。それは甘えだ。

セリフで全てを喋れば納得させられるじゃないか。そうでもないこともわかってるからだ。

蛇足だ、スマートじゃない。

そうしないとならないほど足りないんだ。

何もかもが、ならば。



引き込め。

お前の全てを埋めてこいよ。

もっと考えもっと感じろ。


心を読むだけが能力じゃないだろ。

本来は共感があっただろ。


想像させて、見せる力あっただろ。

やれよ、説得してみろよ。



ポンポさんから学んだのはそういう凄まじいほどの言い訳できないもの。


みるといい。


芝居も1人では作れない。

でも、見にくるお客さんもその世界の1人になるそれは映画や映像との違いだ。

ならば、1人でも誘い込め。


まだ終わってない。


稽古初日でした。

唯一の週のお休みの日、印刷物しながら洗濯して、書類書いて台本少し直して。

時間限界くらいに家を出て、稽古場とりいって。

移動して、印刷かけて。


稽古場行って。

いろんなお話しつつ。

本読みして。




あぁ、やっぱり。

キャストの力だなってつくづく思う。

トカゲの背中は本当に小さすぎて力もなく、手を伸ばしても取りこぼしてばかりだけど。

大好きな人たちがときどき、私を手に乗せてくれる。



わたし。

当て書きという手法でいつも書くから。

その人に演じて欲しくて、役を書くの。


それにね。

この人に本当にこの役を演じてほしいから生まれたお話で。

男性役は、役が決まってから方向も動き出した。


たぶん、違う人だったら違う役だったと思うし。

違う役だったよ。


初回本読みって、自信があったりなかったりの忙しない本書きの気持ちなんだけれど。ね。



読んですぐに、役のことをすごく細かく考えてくれて知ろうとしてくれて。


なんかもうすごく初日にしてこんなこゆい会話。


実は役者より歌い手さんの方が、こういう話をしてくれる方が多い。

不思議だね。


作り方が今回も今回で特殊なので、無茶振りをしつつ。

後半もう少し、


あとは細かく調整と、見せ方。