ブログにお越しいただきありがとうございます。

4歳(幼稚園年中組)の娘と3人家族です。

我が家を突然襲った
若年性乳がん。
2020年12月に全摘手術をしました。
当時我が子はまだ3歳。

育児真っ只中に
乳がんと向き合う日々の記録、
日々想うこと、
時々、子育てのことも…

乳がんママのひとりごと。

同じ境遇の方と繋がりたいです。
そして励まし合いながら、
すすんでいきたいです。
どうぞよろしくお願いします。










あの日の空



1年前、人生初めての手術を間近に控えて…

その日の朝、とってもよい天気でした。


今より心には迷いがなくて、
やるしかない!とある意味腹がくくられていて、
今より強い気持ちでいた朝。
(単に自分のこととして受け入れられて
いなかっただけだとのちに気づく。)


この空を見て、
きっと大丈夫。と思ったりしていた。


手術の記憶。
ちゃんと書けてなかったので、思い出して記します。


  手術の朝


手術は朝の一番手。
夫と母が交代で病室へ。
(娘は夫両親が来てくれてお留守番)
ちょっとしたぎこちない気遣いをお互いに
しながら、がんばるわ。と会話を交わす。

センチネルリンパ節生検の為の注射を
してもらって、ズーンと痛いわ……
と少しダメージを受けながら病室へ
戻ってきたら母が。

母からは、私の大好きな先輩が送ってくれた
お守りとお手紙がギリギリで自宅のポストに
届いたのを届けてくれた。
これが、あれば…大丈夫!なはず。

着圧ソックス?を履いて下さいと指示されて、
身支度を整えながら…
あれ?きつくて入らないんだけど…!
ちょっと手伝って笑い泣き
太い足でいやだわー、なんて言いながら、
母に手伝ってもらって。
手術前なのにこんなアホしてていいのかねぇ、
なんて母娘でやっていました。

母「がんばってきなさい…」だったかな?
どんな想いで言ったんだろうね。
本当は違うことを言いたかったんだろな、
泣きたかったんだろうな。

私「がんばってくるわ」
って答えたんだったかな。

お互い泣きたいけど、泣かないんだわ…
親子ってそういうものよね。


  手術室へ

手術室の前までは夫と。

行ってくるね、と
ひきつりながらも笑顔で手を振れました。

名前やどちらを手術するか確認され、
答えているけれど、
やっぱりどこか他人事。


入口に通されると…
手術室の自動ドアに、
アンパンマンやミッキー。

あ、おさるのジョージだ。
こんなところに、娘の大好きなジョージ。
何かね、応援してるよ、って言ってもらった
気になって。

それと同時に、
そっか…ここには小さな子どもも来ることがあるんだもんね。
急に母親の顔が出てきて、
ここに我が子をひとり送り出さなければいけない。
それはもっとつらい。
ここを歩くのが自分で良かったな…と
思いました。



  手術寸前の涙

手術台に横になり、点滴やら準備やらが

進められる。


あぁ、もう戻れない。


そう思ったら、

色んな感情やこれまでのことが走馬灯のように

色々思い出されてきて、

何でこんなことになってしまったんだろうって

やっぱり思って…

さすがに泣きました。


主治医「大丈夫…ですか?

    すぐに終わりますからね…」

とティッシュで涙を拭いてくれました。


私「すみません、ちょっとさすがに

  緊張してきました」


  「よろしくお願いします…」


点滴からまずは麻酔を入れて、そのあとマスクから、

だったような…


次の瞬間には、


主治医「無事に終わってますからね」

と肩をトントンとされ、一瞬記憶が戻る。



あ、終わっちゃったんだ…


そうか…。終わっているんだ。


本当に一瞬で場面が切り替わるんだね…



  手術後の安静

ストレッチャーで運ばれながら夫がついてきた?

麻酔で記憶はうっすら。

手術説明を受けるのは夫なので、

リンパの転移の有無は必ずすぐ教えてね、

とお願いしていたので、

郭清はなしだったと教えてもらって少し安堵したのは

覚えています。

その後、母が術後安静時に過ごす病室へきた。

眠い…

おやすみ…


次に起きた時には、

吐き気……

麻酔が効き過ぎた?とやらで、

吐き気止めの点滴を入れてくれているのに関わらず、

最終的に、24時間は何度も。食べたものはないから、

最後は緑色の液体をガーン

汚くてごめんなさい。


術後の痛みは、あまりない方で、

我慢できる痛み。

とにかくこの麻酔の関係の吐き気の方が辛かった。

胸は包帯?さらし?でグルグル固定されていて

その圧迫感で痛苦しい。

そんな術後の記憶。



  あの時の気持ちを思い出そう

手術に挑む時、

夫、娘、両親と弟たちへ、夫の両親へ

それぞれ手紙を書きました。


やっぱり大きな病気になって、

それぞれに申し訳ないなと思う気持ちが

芽生える訳で。

その想いと絶対復活しなきゃ、を

伝える意味合いもあったけど、

手術、何があるかわからないから、

と残しておきたいと思ったのかも。



手術を控えたあの日の私とは

色々変わってしまったこともたくさんあるけど、

娘のために、新しいカタチでって、

ちゃんと書いてあったね。

時間はかかると思うけど、

1年、1年…と

家族の新しいカタチをつくっていければ、

きっとそれでいいんだよね…


どうして、これを写真に残したかというと、
自分が書いたことを忘れないように。
反対にもらったお手紙や
そして、このアメブロで出逢った方から
いただいたメッセージ。
(メッセージって消えちゃうんですね
スクショしてあります)

これをノートにたくさん貼って、
視覚的にも
私(たち)ががんばってきたこと、
周りの人からのエール。
失ったことばかりではないことを
時々開いて確かめるためのもの。

1年経ったので作ろうかなって思ってます!





それでは、
今日も明日も皆さんの心が
笑顔でいられますように…♩



おすすめのものたち…