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4歳(幼稚園年中組)の娘と3人家族です。
子育てのいろいろと
我が家を突然襲った
母である私のAYA世代乳がんの
記録と日々想うこと…

乳がんママのひとりごと。

同病の方
子育て中の方
もちろんどなたでも
交流していただけたらとても嬉しいです!




乳がんの発覚には、しこりを見つけた…
そして検査へ。
という経験をされたことをよく見かけます。

ですが、

私はちがうのです。


しこり、触れたことありません…

そして、主治医の先生にさえ、触診では、
まったくわからなかったようでした。

でも、結果は…乳がん
そして、全摘手術ということが検査結果から
決められて、告知から約一ヶ月後には
手術を受けることになりました。


では、なんで、
病院に行くことにしたのかというと。

乳頭から血性の分泌物があったからです。

今戻れるならその時の自分をぶん殴りたい気持ちに
なるのですが…。

娘の授乳を1歳過ぎで終えた頃、
まだ母乳が残る?張る?感じがあるので、
絞ることがありました。
もう本当に出なくなってきたな、という頃に、
うっすらピンクがかった血のようなものがほんの少量出たことがあったんです。
気になったけど、調べたけど、
良性のなんとかかんとかの場合が多い。
という文字に安心して、そこで止まってしまった。

そして、娘が3歳になり、仕事を始めて、
しばらく経った頃、
下着にほんの少し付いていて気づいたのだったか?
今度は、本当に血液、
それも真っ赤でなくて、茶色っぽいねばっとした
血液が、押すと出てくるように…。
気になるから毎日のように確認してしまうのですが、
量は少ないにしても、やっぱり続く。

おかしい…

ここでやっと病院に行ってみようと、
そう思ったのです。

でも、どこかでそんな訳はないはずと思っていた自分がいました。

市の乳がん検診(年齢的には対象外)をしている
個人院を受診。
エコーや触診でも特に異常なし。

念のため、分泌物をプレパラートに取ると、
1から5の中の、3。
この検査結果だとどちらとも言えないし、
たぶん大丈夫な方と思うけれど、
念のため、紹介状も書けます

本当にそんな程度の会話でした。

じゃあ……お願いします。

紹介状の病院選びだって、
たまたま娘が熱性痙攣でかかって、場所もわかるし、
職場と娘の幼稚園との立地も自転車でいけるし、
という理由で選んだのです。
もっと危機感もとうよ?と言ってやりたい。

いつもネガティブだから、
最悪なことを考えて行動してばかりいるのに、
なんで、こういう時だけ、
あっけらかんと選んだんだろう。
と思うけれど、

自分がこの歳で子育て真っ最中の今に、
乳がんだなんて、そんなことは
さすがにないだろうって思っていた証拠だと思う。

そして、紹介先の病院で、
主治医となる先生の触診でも…

うーん…特には触れないですね。

ほら。やっぱり大丈夫なんだよ。良かった…


そこでも念のためと
再びプレパラートの検査にまわしてもらえたのと、
マンモもやってみましょうか?
白黒つけた方がいいですもんね。
そう言われて、検査に進むことになりました。

その結果、乳がん疑いに変わり、
マンモトーム生検で最終的に
乳がんという診断がつきました。
他にも検査色々しましたが、あれよあれよと進み、あまり覚えていません…。


今思えば、去年の夏、
何かしらの身体からのサインが出てくれて、
良かった。と思う気持ちがあります。
しこりも触れられない程小さくて、
何にも自分で見てわかる異変がなかったら、
きっと私はまだ病院にすら行ってなかったと
思うので…。

あの時気づけて…まだ、
良かったんだよね??

でも、後悔はつきまといます。




授乳を終えて
腕の中で眠るあの頃の娘。

こんな3年後の試練があるだなんて、
思ってもいなかったね。

この写真は
私のたからもの。





AYA世代のがん
(15歳から39歳でがんに罹患する)
ってご存知ですか?

私は、
自分がなるまで、
この言葉を知りませんでした。

がんの治療自体も、
転移や再発に怯えながらの
長い人生を送れるとしたら…
それはものすごく
しんどいことなんです。

私も今直面しています。


治療の薬の関係で
諦めなければならないことも
困難も
あります。


検診、
やっぱり
大事なんだと思います。

まだ若いから…は
通用しないのが、
病気なんですね。

こんな声しか
あげられないけれど…

かなしい気持ちをする人が
1人でも減りますように。





乳がんになって読んだ本の紹介です。