将来は、子どもふたりはいてくれたらいいなぁ。
そんな思いがあった。
娘がいつの間にか赤ちゃんではなくなり、
ぬいぐるみのお世話に明け暮れたりして、家族の色々なタイミングでは、今だったらどんなに良かっただろう。

周りには、まだ同じく「子育て中」というカテゴリー?の中で。
あ、あの子も下の子生まれてお姉ちゃんになるんだ…。
喜ばしいことなのにね、一瞬でもそう頭によぎり、
そこには行き着けない自分の今を比べて、悲しくなる。なんて嫌な感情なのでしょう。
公園に行くと、小さい頃時々砂場でご一緒になったな…という子。その時小さな赤ちゃんだった下の子も、もうすっかり幼児に!
うちだけ、あの頃からなんにも変わってないんだなぁ…と思ってしまう。そんなことはないはず。娘に対してとっても失礼!

でも、これ全部最近の私の感情です。


がんになった。
命の期限を本気で考えさせられて、
もっともっと大変な状況の中でがんばっていらっしゃる方がたくさんいるということも知り、
日常生活にあまり変わりなくいられるということだけでも有難い。
有り難いんですよ…

だけど、

思い描いた将来は、思いきり奪われてしまったけどね…。
ホルモン治療をこれから5年。
その間は2人目は望めない。
思い描いた将来に向けて、挑戦することさえできない。
5年後娘は10歳になる。
私の年齢も…それだけ。
娘のときにも排卵のコントロールで病院に通ったので、
もし治療後望んだとしてもたぶん再び。
というか色々なリスクを考えると挑戦はしない方が良いのかな。
再発、5年経ったらありません!!という人生ではないんだもんね…。何がよいのか全然わからない。
こんな感じのお得意の迷走…


今の職場を選んだのも、
その園の雰囲気とかそういうのもあるけど、、
市内の認可保育所勤務なら、(2人目の)保育園内定のポイント加算がある。(条件はいくつかあるけど、保育士の子どものポイント加算があるんです)
いつか正職員になっても閉所が割と早めだから。
遅番でも、ワンオペ育児でもどうにか望めそうな時間。
そうやって、職場にも迷惑がかからないように、自分たちも余裕がなくならないように、ひとつずつ考えてやってきたことも、今は必要なくなってしまった。
結構緻密に考えて、
パズルのピース埋めるみたいに、あわせてみてたんだけどなぁ…
急にピースが1つなくなってしまった。



5年後には可能性が広がるかもしれないんだからよいじゃない。どこからか聞こえてきそうです。
でも、そういうことではない。
今、とても悲しい。
私は、娘がまだお姉さんになりきれない小さな身体と表情で新しい小さな命を少しずつ受け入れる姿を見てみたかったし、私ももう一回赤ちゃん抱っこしたいなぁとやっぱり思います。

新しい命をぎゅっとしている幼い我が子たち…。よくあるきょうだい写真みたいに。
それを近くでみることが、
私のしあわせの象徴だったのかな…。

私の横には最近ぬいぐるみを赤ちゃんと見立て、
一生懸命にお世話している娘がいます。
それを見ると、
そうだよね…
ごめんね。と思う…


今ここにあるということに、感謝はしながら、

でも、
あまりに失われたものが大きすぎるよ…


これは、夫にも周りの人には言えないですよね。
夫も悲しい…のだと思うし。
先日、夫の職場の女性に2人目の赤ちゃんが…と急に話題にあがり、
何で今私にそれ言うの?とよくない空気感に。
消化しきれない気持ちを、ここに。。


がんになった。
比較的、進行の低いものだった。
(よくはないんだけど)、よかったね。
となる。
でも、治療の薬で、こんなことまで待ち構えているだなんて。私なーんにも知らない平和な人だったわ…
病気そのものと、それに付随する、病気周辺にあるもの。
色んなことを今の自分たち、少し先の自分たち、遠い将来(…があることをひたすら祈る)の気持ちや状況を考えながら答えを探すって
とっても難しいです…



人と比べない。
これも非常に難しい。
前向きになろうと日々努力したことが、
周りからの情報を見聞きすることで、
あっけなく、ポキッと折れる。

そんな毎日の繰り返しです。