受験勉強の思い出  ブログネタ:受験勉強の思い出  参加中


私が高校3年の時、何になるか迷いました。

本当は保育園の先生に成りたいと言う考えがあったのだけど

保育園の先生に成るにはピアノが弾けないと駄目と言われて

ピアノの練習で嫌な想い出があった私は

また習いに行きたいとは思えずにあっさりとその夢は諦めました。

今思えば、それは正しい選択だったと思います。

ピアノが弾けない人は先生に成れないなんて変な考えです。

人には色んな得意分野があって良いはずで

私はピアノは弾けないけれど、子供のことを理解することは出来ます。

逆に言えば、ピアノが弾けても子供のことは理解出来ない人だっているはず。

なんて思ったのは今に成ってからですけど

保育園の先生が駄目だったらなんだ?と考えても思いつかず

前から好きだった旅行に関係して

「ツアーガイドに成りたい!」と言ったら

「ばかやろ~!お前の英語の成績じゃ駄目だ!」と

担任に叱られました。

10段階で限りなく1に近い2だったのです。

英語の先生はかわいそうだから仕方なく2をあげたけど、本当は1にしたかったと言ってました。

ツアーガイドって言ったってさ

何も海外じゃなくても良かったじゃない?

よく考えたら、日本中を旅してまわれるようなガイドを目指したら良かったかも知れないのに

その場で担任の言葉を鵜呑みにしました。

考えてみたら、先生って生徒のために色々と考えてくれたり

力を貸してくれた訳じゃないんだね。

そういえば

アメリカに住むようになってからだけど

「ツアーガイドをしようかと思ってる!」と友達に言ったら

「やめとけ、お前じゃ無理だよ。ツアーで来るような観光客はまずわがまま言い放題するからな

あそこへ連れてけだのここへ連れてけだのって

そういう風にわがままを言う若者たちにお前は黙ってガイド出来るか?」

「出来ない。うるせ~黙りやがれ!と言ってしまうかも知れない。」

「だろ?やめとけやめとけ。」と

私としては、日本から来たアメリカに憧れる人たちに

私が知ってる素敵な景色やお店を紹介出来たら楽しいだろうにって思ったけど

「観光客がみんな扱いやすい訳無いだろ!」と言われて、面倒なのでやめました。

高校の時に英語能力のなさで諦めろといわれましたが

それより何より、私の性格には合わないと友達にいわれてしまったのでした。

さて、それで高校の時に戻りますと

何に成るかな~分かんないなあ~と思っていた私は

進路が決められず

そこで漠然と父の戦略にはまり

父の夢を追うことに決めたのでした。

父は高校に行く時に「お前の家は家具屋だから商業へ行け!」と先生に言われて

家の仕事を手伝う方向で進路を決められたそうで

本当は建築士になりたかったのに会計士に成ったのでした。

そんな父の楽しみは、インテリアの本を購読し

私と一緒に毎月雑誌をめくっては

色んなデザインの家を「こんな家も良いなあ~!」とか言って眺めることでした。

そのうち父が買ってるインテリアの本を私が持っていても良いと言われ

時間があるときはいつもその雑誌をめくっては自分が立てるとしたらどんな家が良いかな?と

空想するようになっていたのです。

そこで

「そうだ建築士になろう!」と思い立ち

それで大学には行きたくないので専門学校!と思って調べたら

東京にある学校を見つけ

そこで推薦を使うと、簡単に入れると知って

担任にお願いをしました。

「せんせ~~お願いします。成績悪いけど、内申書に何か良いこと書いてください。」と

取りあえず、学校の委員会で委員長などをしていたことを先生が褒めてくれたりして

それが役立ったかどうかは分からないのですが

高3の夏休みには進路が決まり

やった~!と言って、受験勉強でやせ細り不健康になりつつある同級生に見せつけるように

遊んでいたのでした。

大学行かなかったから、受験の経験は高校受験だけです。

高校受験は一番苦手な社会科の勉強に90%ぐらいの時間を費やしたのにも関わらず

テストでは正解が3つくらいしか無いというショックな結果に成りました。

あの時間は何だったんだ~!と後で思ったものです。

受験は5教科中3教科で高校に入れたと言う現状でした。

なぜなら、答え合わせをしたら社会科と英語のテストでは

正解がそれぞれ2~3個しか無かったからです。

これが中学の受験の想い出でした。