その女の子の最近の様子を見ていたら、お友達が出来て楽しそうに遊んでいることが確認できました。

でも近づいて行って

さらに

どんな遊びをしているのか?と思って見学すると

なんと、相手の子がその子に色々と命令をしているのです。

『だめ、それはここにおいて、そう。じゃあ遊ぶよ。

あ、だめ、それは触らないで。

そうそう、これはこうやって持って、違うよ、こうだよ。』

おいおい・・・・

その女の子は、事細かに指示を出すお友達が大好きなようで

その友達のいう通りにしようと頑張って、その友達と同じようになりたいという様子で

薄着を真似して、すぐに服を脱ぐような感じにまでなりました。

その子無しではいられない・・・という感じで

『どこに行ったのぉ~~。エンズリーがいないよお~。

あの子が必要なのに~~~。』と半べそをかきながら探しています。

そんな相手のエンズリーは自分の気の向くまま

遊び相手は適当に移動しながら

最初から最後まで、自分の好きなように遊んでいました。

もう一人の別の友達とも、仲良く遊んでいると思ったら

まったく同じようなパターンでした。

親にコントロールされること、指示を出されることに居心地よさを感じているのか

自分の意思で遊んでいないことには、全然気が付いていないようです。

遊ぶというのと、誰かのいうことを聞くと言うのは違います。

一緒に遊ぼうというのは、自分が居て

相手が居て

それぞれが何かを一緒にすることです。

決して、一方がもう一方に指図をすることではありません。

でも姉妹もなく、親にあれこれと世話を焼かれている彼女は

自分の意思で個人として生きていくことを余り分かっていないのかもしれません。

もしも自分と相手の割合が対等でなかったら、その相手から距離をあけられるようにしないと

もっと大きくなって、そのことを苦しく感じるようになってしまいます。

自分を大切にしてくれない人とは付き合うな!と大きくなってから言っても

人との付き合いと言う物は、以外に小さい頃からの経験の積み重ねのうえに成り立っていたりするので

なかなか急に変えることは出来ません。

大げさに言ってしまえば、社会に出て必要な社交の技術は

保育園の砂場で全て学んでいくべきです。

今だけの子供たちを見て

保育園児として、その遊びを本人が楽しんでいるからいいんじゃないの?と思って放っておくと

子供はそのまま、自分の考えは聞いてくれない相手を友達と思い込んだり

いつも人の言いなりになるポジションにばかり付いてしまうというその現状と

それに反発したい心の中の葛藤で

本当に勉強に集中しなくてはならなくなった頃に、問題として現れるようになります。

友達の娘も、似たような件でとっても悩み

小学校高学年のクラスでの授業に遅れを取ってしまいました。

友達との関係に悩んでいたのだけど

私に言わせれば

「あのね、その人は友達じゃないよ。あなたを良い様に操って

自分の願っていることばかりを実現させて

あなたのことは全然大切にしていないじゃない。

なんでそんな人と友達でいたいなんて言って悩むの?

勇気を持って、その子から離れなさい!」

小さい頃から、自分を持つこと

自分を大切にすることを教えることが大切です。

調和を考える為に、ここは我慢しておきなさい!なんて教えが強く残っている日本で

どれだけ多くの人が、苦しい思いを外に出せずに我慢し続けてきたか。

人の苦しみの上で手に入れる自分の幸せなんて、本当の幸せではないのに

誰かが幸せになったら、自分はどうでも良いの・・・なんていう人がどれだけ沢山いるか。

話はそれてしまいましたが・・・・

このことに気付いてから、すぐにその女の子のお母さんに言いました。

『娘さんがエンズリーのことを大好きなのはわかるのですが

遊び方が平等じゃないんです。

エンズリーが一方的に娘さんをコントロールしてて、娘さんはそれに従ってるだけなんです。

これは良くないです。

自分に命令をする人を友達と勘違いしてしまうと

大きくなった時に、必ず苦しい思いをします。

やっぱり、色々と指示を出されている生活に慣れてしまっているのが原因だと思います。

もうちょっと自分で考えるチャンスを上げたり、自分で決める権利を与えた方が良いと思うんですけど。』

そのお母さんは私のアドバイスを素直に聞いてくれていて、

娘の為に出来ることは何でもやってみるという態度なのですが。

『家では、一家のボスなんだけどね。』との一言に引っかかりました。

子供に自分のことを決めさせる権利を与えることと

親が子供の言いなりになることは違いますよ。

子供が何でもかんでも好き勝手に注文を出して

両親でいう事を聞いているような状況は、私が言ってることとは違います。

子供をコントロールしすぎないことと同じくらい

子供にコントロールされないことも大事です。

子供に選択肢を与えて、選択させることと

子供の思うように、何でもさせてあげるというのでは違います。

生活の中には、あくまでも親が裏でコントロールしなくてはならない部分はあるのです。

それで秩序が守れるわけです。

ただし、そこまで細かく決めなくたって

地球は回るだろう・・・という部分を

子供に選択させたりするわけです。

朝ごはんを先に食べようが、着替えが先になろうが

大して問題は無いでしょう?

休日は公園に行くか、図書館に行くか

借りたい本が無かったら、どっちを選んだって構わないですよね?

そういうときは子供にどちらへ行くか決めさせてあげましょう。

大体、週末のプランを立てすぎの人

子供のためを思ってあれこれ出かけると思いますが

子供はどうしたいのか?当日に聞いたことがあるのか気になります。

特にサンフランシスコに住んでいる親達は、週末にあちこち出かけ歩くのがステイタスだと思っているようで

予定をつめすぎな彼らの生活に心配になり

しかもそれが親が立てたプランばかりだということにも引っかかってしまいます。

親の付き合いは無視して、友達の誕生会に行くか行かないかの選択をさせてあげることも

子供には大事だと思います。

後になって気が変わって行きたくなったといったら、それから連絡をすればいいこと。

なんでも親の付き合いをスムーズにする為に、子供の意思を無視した生活のパターンが多すぎて

子供はいつも窮屈に見えてしかたありません。

その女の子は最近、洋服の襟をなめるようになりました。

これはストレスのサインのような気がします。

どこにストレスを感じているのかは分からないけれど

コントロールの話だけではなく、成長段階をあわせてみて

早めに直してあげられるように原因を見つけてあげようと思います。

尚、小さい頃から服の襟を舐めたりしている子供と

急にそういう態度が表れた子供では、その理由が違う時があります。

気が付いた時からずっと・・・と言う子供は、感覚統合の問題がある子供かもしれません。

ストレスと言うより、体の発達を手伝ってあげることが先決だと思います。

私が気になっている女の子は、まだ様子を見ているところです。

このタイトルでのブログはここでお仕舞いです。