Twitter見ていたら沢山批判されていた田村淳さんのこの企画。



私、田村淳さん全部じゃないにしても嫌いじゃないし、おちゃらけた企画だけど番組見てみたら不倫の下らなさや矛盾を面白おかしく切り込んでくれるのかな?とか彼の感性から考えると普通にサレ側の妙な理屈を垂れ流すとは思えなかったので静観していました。
もちろん不倫サレる人の気持ち考えたら企画じたいがありえないんだけど、ね。
だって、痴漢さんいらっしゃいとかやらないでしょ、不倫の傷を過小に捉えてないとこんなん出来ない。


私が静観していたという立場でもなお、
沢山の批判に対する田村淳さんのこの反論は、おかしい。
批判してくる側の言葉遣いや態度に論点をずらすのは間違っている。

言葉遣いと番組趣旨への批判は別です。
論点をずらし言葉遣いや態度をあげつらうことをトーンポリシングと言います。
最近よく聞く社会的な言葉なので知らない人はググってみてください。私はなるほどと思いました。



中島みゆきの歌、「わかれうた」の歌詞に

恋の終わりはいつもいつも
立ち去るものだけが美しい
残されて戸惑うものたちは
追いかけて焦がれて泣き狂う


とあります。

不倫をしている者達の言葉は美しく刹那的です。
まるでポエム。
この世にふたりしかいないような、そんな感じ。
一方、突然の裏切りに戸惑うかつて愛された人は、怒り、泣き、罵倒し、時には暴れるでしょう。
まだ小さかった私は言葉にすら出来なかったけれど、いきなり床が抜けて奈落の底にゆっくり落ちていくような、恐ろしさと不安を感じました。

彼は、知らないのでしょうね。
信頼していた人に裏切られる絶望が。

暴力的な衝動すら持つほどの怒りを覚え、
そんな自分に戸惑い嫌悪し、
さらに絶望を深める人の気持ちが。

そして、そこまで絶望してもなお、
気持ちや願いが報われるあてはなく、
諦め忘れる術すら分からず呆然と取り残される、
そんな人が沢山いるということに、
この年になっても気付かない愚鈍さを私は笑います。