こんにちは。
インストラクター 谷川明子です。
この春専門学校入学、上京し一人暮らしの予定だった娘、コロナの影響でまだ自宅暮らしです。
不安もあるでしょうが本人なりに「前向き」でいようという様子
…と思ったら大噴火しました。
娘は小さい頃から「癇癪」や「ネガティブな言葉」でキモチを表すことがありました。
かつての私はまずそんな時「困る」「不快だ」と思いました。
「癇癪」を止めさせたい。
「ネガティブな言葉」を聞きたくない。
(こんなことを言わせてはいけない)と感じ
「どうしてそんなこと言うの?」
「どうしてそんな態度なの?」
「大変なのはあなただけじゃないのよ」
そんな言葉で諭そうとしてきました。
今は、娘に癇癪が起きると
(あ!お知らせだ!)
と思います。
話を聞く時だよ!と自分にスイッチを入れます。
そしてまずは「癇癪」やイライラのオタケビ?が出切るのを待ちます。
収まったらまずそっと、ただそばにいてみます。
娘が話し出したら「おうむ返し」や「あいづち」を意識して話をただ聞きます。
ただし、インストラクターだからって私、子どもの話を
いつもいつもじっくり聞くなどできません^^;
うまく聞けないときももちろんあります。
ましてや今はコロナ禍で、私自身も不安なのでしょう。
気持ちが落ち着かず「聞く」が足りていなかったな
…の自覚もありました。
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「聞く」のが難しいのはどんな時?
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娘は不登校から韓国高校に留学。
その後の進路で散々悩み「生きやすい韓国」よりも「やってみたい学び」のために日本に戻ることを選んだ経緯があります。
韓国は日本に比べてずいぶん早くコロナの状況がよくなり学校もまもなく再開しそう
…そんな時
娘の専門学校はさらに授業開始が遅れるとの知らせが届きました。
『韓国に帰りたい』
『韓国の学校辞めなければよかった』
『もう新しい学校もイヤダ!!やりたくない!!!!!』
コロナで在宅中の夫の顔も一気に曇ります。
以前の私ならさらに焦り「私が何とかしなきゃ」と思ったでしょう。
今は「オッケー!」と「聞く」のスイッチをオンにします。
大声で叫ばれると私も嬉しくはありません。
一瞬心はザワっとします。
でもそう思ってる娘の気持ち、私に変えることはできないから。
私にできるのは
「そうなんだねー。そう思ってるんだね。」
って娘の不安を「聞く」ことだけ。
(この子はこの年になってまだこうなのか…)
と、私の中から出てくる不安も「そう思うんだね。」と同時に聴きながら。
今でも私は子どものネガティブな発言を「聞く」のが苦手です。
でも「どんな時」「どんなことを」聞くのが苦手なのかを知っていると
「聞けなかった」と自分を責める気持ちより
苦手なのにまぁがんばったじゃないか!と自分を労う気持ちが出てきます。
それだけでもずいぶん自分と仲良くいられるなぁと思うのです。
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なんのために「聞く」?
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噴火後娘は寝る前になり
『大声出したらちょっと元気でた、さっきごめんね』
と言いにきました。
『腐らずに…やってみる…だから明日また話聞いてね。』
と。
かつての私は私が知りたいことを知りたい時に、
自分が安心するために子どもの話を「聞こう」としていました。
今も不安になると子どもに「訊きだしたくなる」「諭したくなる」こともあります。
でも子どものこころのコーチングで「聞く」を学び意識は大きく変わりました。
「聞く」目的は「安心」を手渡すため。
子どもとの信頼関係の土台を作るためです。
その事を何度だって思い出すようにしています。
子どもの不安をまず「聞く」
すると子どもは「安心」して不安を吐き出し
また立ち上がり歩いていける。
その姿を見ることで結局は親である私の安心に繋がると感じます。
「聞く」は続けることが子どもからのサイン受信のアンテナ感度をよくします。
いつもいつもはできなくてもいいから
これからも「聞く」を続けようと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
子どものこころのコーチング協会
インストラクター
谷川明子