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【報道と事実は違います】 いわき市からの避難者mikoさんのお話 【日本中のお母さんへ】
3.11福島原発事故で、故郷いわき市から、昨年1月に北九州市に自主避難してきました。
今日は、主に北九州市に来るまでの9ヶ月、私が見てきたこと、体験したこと、感じたこと、そして今を話します。
福島原発から42kmのいわき市に住んでいました。私は、そこで、ピアノ教室の主宰として、夫は市職員、子供2人と生徒たちに囲まれて、毎日、楽しい時間を過ごしていました。
さて、3.11後私たちの生活は一変しました。いわき市の北のほうは、30km圏内だったのに、市長が「風評被害」という言葉をつくり、圏内からはずしました。事故前は1時間あたり、0.05マイクロシーベルトだった放射線量は、23マイクロシーベルト。460倍に。
当時、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで安全だと大キャンペーンを、テレビ、新聞、ラジオ、学校、講演会で行き渡ったころには、学校で0.5マイクロシーベルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いました。
100ミリシーベルトが安全ですので、当然、給食は最初(事故1ヶ月後)地産地消ということになり、私たちは署名活動を根気よく続けて地産池消をすぐにやめさせました。尚、教育委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になってからです。
ですから、安全説を信じた人の子供たちは、給食を食べさせていました。先生や学校に言っても無駄でした。
外の放射線量は同じではありません10cm違っても、2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
私が、疑問に思ったのは、市の職員、学校の教員が放射能汚染から子供を守らなかったことです。
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3.11以降、激減している日本の総人口 - るいネット
3.11以降、激減している日本の総人口
最近、お悔やみのお花を送る事が多く、それと同時に不自然な亡くなり方をする方が非常に多いです。
昨日まで普通に生活されていた方が突然亡くなったり。
通常ではあり得ない病気で亡くなられたり、という話を多く聞くのは私だけでしょうか。
総務省統計局による人口のデータによると3.11以降急激な右肩下がりです。
総務省統計局 人口推計 平成25年5月報 より
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低気温のエクスタシーbyはなゆー
東海村
茨城県による子供の甲状腺検査で7人が精密検査が必要と判定された
その後、東海村が新たに578人の子どもを検査した結果、441人が「異常なし」、132人が「経過観察」、5人が「精密検査が必要」と発表し、精密検査が必要と診断された子どもはあわせて7人にのぼりました。