「守ろう命!さよなら原発!! 復興支援
私たちにできること!3.10大館集会」
スピーチの続きです
現在主人が1人で住んでいる自宅は、福島市内にあります。
避難せずに暮らしている人も多い中、なぜ、あえて二重生活までして避難を選択したのか…
それは、「ただちに」影響はなくても、いずれ「実は影響があった」と、わかる日が必ず来る…という確信があったからです!
ある意味、母親の本能だったのかもしれません…
そして、これまでに見聞きした知識で、このような場合、何十年かたって認められる人もいるが、認められずに亡くなるケースが多いということを知っていました。
公害問題や薬害問題などのニュースを、他人事として見ていた私が、今度は当事者になってしまいました。
一言でいうと、「病苦は残り、失われた健康や命は戻らない」ということに尽きます。
自分ならともかく、子どもが病気で苦しむ姿を見たい親なんていません…
絶対に考えたくはありませんが、子どもにもし先立たれたら、私は間違いなく生きる屍になるでしょう。
だからといって、途方に暮れていても何も変わりません。
それで、必要にせまられて、私なりに勉強する日々がはじまりました!
子どもを守るためには、そうせざるを得ませんでした。
私は、まず自分にできることから、できる範囲で何かしようと思いました。
そのためには、どんなに困難な問題でも、目をそらさずに向き合い、現実を知り受け入れ、どうするべきか考えて決断しなければなりません。
そして、同時にこれができる人に子どもたちを育てていく必要がある、そう思いました。
自分で調べ始めてすぐに、「自宅がある福島市付近は、チェルノブイリと比較すると、“移住権利区域”に匹敵する!」ということを知りました。
それほどまでに汚染されてしまった場所に、幼い子どもや妊婦さん、そして、これから家庭をつくり子どもを産み育てていくであろう若者たちが…普通に暮らしています。
しかも、汚染されてしまったのは福島だけではありません。
この事実を知った時、初めて「自主避難という自分の判断は間違っていなかった」と確信しました。
~ 次回へ続く ~