「守ろう命!さよなら原発!! 復興支援 

  私たちにできること! 3.10大館集会」


3月10日、大館で行われた集会に、パネリストとして参加してまいりました。

1人の避難している母親としての考えや、福島に住む母親の訴えなど、たくさんの方に知って考えていただきたいことを、お話しました。


今日は、その内容をご紹介したいと思いますにひひ


「私の話は、皆さんにとって、特に福島にお住まいの方にとっては、聞きたくない嫌な内容かもしれません。しかし、1人の避難者であり母親である、私の個人的な考えとして、お聞きいただければ幸いです。


私は18まで能代で育ち、進学を機に福島へ行きました。そして主人と出会い、結婚しました。

今は2人の娘と、能代市内で避難生活をしております。

主人は福島市内に1人でおります。

私としては、できることなら主人も一緒に避難してほしいですが、あくまで自主避難であること、川俣町の実家に主人の母がいること、長男であること、仕事があることなどから、離れて暮らしております。


これがいつまで続くのか見当もつけられない状態が続いておりますが、幼い娘たちが成人してもなお、放射性物質の毒性が消えないことは、はっきりとしています。

セシウム137300年です。

よく半減期30年と言われますが、これはセシウム137が半分に減るまでに、30年かかるということです。

プルトニウムに至っては、その半減期でさえ、24,000年です。


この年月には思わず気が遠くなってしまいますが、それでも、今福島に帰るよりは、30年後にした方が良いことは明白です。

もしかすると、能代で生まれた2才になる下の娘は、本籍は福島県川俣町ではありますが、このまま一生福島の土を踏むことは無いのかもしれません。


福島の人は、明るく前向きで、とても温かく家族思いです。

少なくとも、私の嫁いだ家と、親戚の人たちはそうです。


私と主人が結婚の約束もしていない頃から、私を本当の家族のように受け入れてくれました。


当時交際中といいますか、いわゆる、“ただの彼女”であった私は、なんと、主人の姉の結婚式に家族として出席しました。

また、その姉と主人の妹2人の出産にそれぞれ立ち会い、甥と姪の誕生を見届けました。

ちなみに、その出産の時は、主人には声がかからなかったので立ち会っていません。


実家の両親や弟には言いにくいのですが、今はもちろん当時から、私にとって福島の家族は、実家の家族以上に家族なのです!



結婚して今年で10年になりますが、嫁姑関係・小姑・親戚関係で悩んだことなどありません。

毎回土日祝日になると、片道1時間弱かけて当たり前のように主人の実家へ行き、主人がいなくても、主人の母や姉・妹・甥や姪と一緒に過ごしました。


子どもたちは、いとこ同士ですが兄弟のような関係で、皆一緒に遊んだり、勉強したり、食事したり、お風呂に入ったり、お泊りしたり…さながら保育園のようであり、昭和の大家族のようでした。



悲しいことや辛いことがあっても、それほど裕福ではなくても、子どもたちの成長を家族で喜び、助け合って暮らしていく…そんな生活が、ずっと続くものだと思っていました。


2年前に能代へ来た時も、すぐに福島に戻るつもりでおりました。


~ 次回へつづく ~