放射能学習会
「子どもを守ろう~家庭でできること~」
11月25日(日)行われた、学習会
午後からは、村上先生と福島から避難中のママ参加の座談会が行われました
ベクレルフリーの手作りケーキクッキーをお出し、生姜茶をいただきながら、参加者それぞれが普段なかなか言えなかった心の内を、思い思いに語りました
始めに、共同代表で福島からの母子避難者である2人が体験や苦悩・心境を語りました。
「未だかつてない大きな揺れに襲われたとき、生後1日のわが子を抱きかかえ『もう死ぬかもしれない』と思った。海岸近くの自宅や職場にいたであろう娘・夫・母の安否が確認できたのも束の間、今度は原発・・・すぐに能代へ避難したが、しばらくすれば、すぐ福島へ帰れると思っていた。その後、夫と母は仕事のため福島へ戻り、・・・被ばくを余儀なくされている夫と母が心配だが、子どもを危険にさらすことはできない!母からは『帰ってきてほしい』とも言われるが・・・」
彼女は、こうした悩みをかかえながらも、子どもたちのため、家族の未来のために、毎日努めて明るく子育てに励んでいる
「長女の小学校入学を機に、放射能の影響を知れば知るほど、父の闘病や最期の経験からも、わが子の身に何かあった時、とてもではないが私にはそれを受け入れる覚悟ができない。だから、夫に会えず子どもに負担をかけていることは承知しているが、いつか解ってくれると信じて、避難生活をつづけています・・・」
「私は以前までは、原発は国防のためにも必要だと信じて疑わなかった・・・が、それが間違いであることに気づき、『国防どころか亡国だ』と思うようになった」
「放射能のことを気にしていると、職場で非難されることがある」
「家を建てるときには、セメントや木材など、『ベクレルフリーの家』にしたい」
「風力発電を推進するのなら、地元の資本でやることが望ましい」
「転勤を機に、福島から能代へ・・・おなかに子どもを授かってから、やはり放射能のことが気になり、福島県内の実家で産むか迷いもあったが、能代での出産を決意。能代にも、福島からきている母親たちがいたことがとてもうれしい」
「能代にも気軽に立寄れる、測定所をつくることができたら・・・それが夢です」
「夢といえば、まだまだ実現できるかわからないが、福島から避難したくてもできない子どもたちを、夏休みなどの短期間でも保養で受け入れられるような活動ができたら・・・」
などなど、本当におのおの思い思いの気持ちを言葉にし、それを誰も否定せず、ともに考える・・・そんな座談会となりました
ご来場くださった方々、ご協力いただいた方々、本当にありがとうございました
( 2012/11/26 さきがけ新聞 )