時折、電車やバスに乗ると、ご老人から
プーンと漂うのは、線香か樟脳のニオイ。
まぁ樟脳は、季節的なものでもあるわけで、
まあ・・・ご老人みんなでは、ないにしても
線香漂わせ老人の確率は高い!!
そんな事をぼーっと思っていたら・・・・
私の父もここ数年・・・母の月命日やら
何やら・・・急に信心深くなったのか?
それとも・・・寂しくなったのかな?
何て考えておりました・・・。
すると・・・超マザコン・・・未だにマザコンの兄1
(母に関する思い入れは凄い)
そして兄のお言葉・・・・
「年寄りはなぁ・・・お迎えが近くなったり、
あぁ自分も骨になってあそこに入るのかと感じた
瞬間から急に、拝みだすんだよ。故人のためじゃなく
自分の恐怖と戦って、線香焚いてるんだ。」
そういえば・・・急に墓参りにこだわりだしたのも
ここ数年だなぁ・・・などと考えると、
そういう考えもあるのかと思えてきました。
まぁ真意は、どうかわかりませんが・・・。
だが・・・私は、時折趣味で香を焚くんだが、
(線香じゃないよ!!)
そうすると・・・・宗教関係の勧誘が来るのは、
気のせいだろうか?
私は、無宗教なので、戒名もいらないし、
凝った葬式も望まない。
できれば・・・海に散骨しほしいくらいなのだ。
(だって、海は、世界につながっているじゃん)
その方が、ロマンがあるように思えてしまう。
墓といっても永代供養といっても・・・その
身内が墓守役がいなくなると・・・・。
そこは掘り返され・・・新たに、分譲される。
若しくは、その墓ごと砕いて地中深く埋めて、
なかったことにしたりもする。
全部とは、言わないが・・・競売で土地を墓の
近くで買った身内は、
開墾作業中に何体の地蔵やら・・・骨の塊を
見つけたことか!!
また・・・その土地にずどーーーんと建っていた
お墓の主・・・かなりの縁戚にたどりついたが・・・
かるーーく
「関係ないんで撤去しちゃって下さい。」
私は、葬儀屋や墓石、霊園のコマーシャルを
観る度・・・何だか複雑な思いだ。
何かを所有し、それを守るというのは、
重責だと思うし・・・先祖があるから今の
自分があるのを否定しないけど・・・。
それを代々守るのが使命だとか、好きならば
構わないのだが・・・死後までその責務を
誰かに押し付けたくないと思う今日この頃です。
そんな、偉大な功績を残したわけでもなく、
たんぱく質の塊からのスタートに・・・・
人の命に限りがあるように、自分の能力も
機械の身体でもないわけで・・・・限られた中
精一杯生きていければ・・・・それでいいのかな?
そんな考えが頭をよぎっておりまして・・・。
結局のところ・・・死者に思い入れがあるので
あれば・・・その楽しかった思い出を
骨になっても持っていけるものだろうか?
自分が・・・・・。
まぁそう考えると・・・・すべてが無意味に
思えてしまいますが・・・。
この墓信仰、仏壇信仰ってのは、何だか
考えますと・・・複雑で御座います。