否定される事やネガティブな言動を浴びせられる日常を
若い頃送っていました。
それもこれも・・・学校へ行かない、思い通りの子供ではない、
そんな事もあったり、若い事は、未熟で無鉄砲で、
考えが自分達より劣るという考えのもとで、育ってきた。
そんな私にとって、精神衛生上良くない環境に身を置き、
子供というのは、経済的に弱者なわけで、従わざるをえない環境で、
私にとって、のた打ち回るほど、
精神的に打ちのめされた日々でしかなかった。
だから・・・早くから家を出て、15歳から自分のお金で、
学校も仕事もすべて、家賃も・・・たった一人でやってきた。
考えてみると、私の娘は、その時の
自分の年齢と4年しか違わない事に気付いた・・・。
失敗も多かったが、学ぶ事も沢山アリ・・・。
私自身、金銭的には苦しい生活だったのだが、この時間が、
何とも充実した時間だったのかもしれない。
もちろん、兄弟との格差はあって、
予備校の費用や部屋を借りる準備、大学の学費に、
生活費、運転免許の取得費もすべて親が出している
兄達に比べ、私は、学校・生活すべてを自分で賄ったのだ。
私は、誰にも恥じることなく、自分の力で切り抜けてきたが、
母は、死ぬまで私の事は、認めた事もなかったし、
私が、母親となった今も何故、ありのままの私を
受け入れてくれなかったのか、苦しくなる事がある。
子供というのは、無条件に親、若しくはそれに代わる存在に
受け入れ、理解してもらいたいものだと思う。
それが、自信に繋がり、そこから自分の力で飛躍出来るのだと思う。
私は、子供が出来たら・・・うんと甘やかせて、抱きしめて、
育てようと決めていた。私が得られなかった事を
娘にしてあげたかったし、それが、不幸の連鎖を止めることにもなり、
私自身の救いでもあると、確信していたから・・・。
私のキズは、癒えていないし、悪夢のように私の脳裏にこびりついて
いるのだけど、娘と過ごすことが、唯一慰めのように、
そして、彼女との時間が、癒えないはずキズを癒してくれるのだ。
私が思う事は、子育ては、「育ててやっている」のでは、決してなくて、
あくまでも自分のために、「育てる機会を与えてもらっている」ということ。
私の父は、呼吸器の病気で、年々出来ていたことも
出来なくなってきている。
子供の頃、父から出来ない事を責められた事はなかったが、
その反面、私と向き合うこともした事がなかった父。
その穴を埋める作業をここ7~8年やってきて、気づいたことは、
お互いにあったようで、私の中では、父の本当の姿を
客観的に見ることができたのは、良かったことだと思う。
そして、面白い事に・・・私にとっての父は、父としてどうこういうのは
別として、長年、さほど大きくもない会社経営をし、外では、
礼儀、愛想の良さ、面倒見もよく、好かれていること・・・・。
そうしないと、顧客には好かれないし、同業他社と連携をとれないので、
収入に関わる一大事になるのだ。
全く、私とは正反対なのだ。
その父を観察すると・・・嫌な物事は、見なかった事に、
聞かなかった事にをベースにしていて、
それは、家庭生活でもそのベースは崩さずにいたので、
結果、母としては、何を考えているのか分からなかった。
しかし、見ざる、聞かざる、言わざるをモットーにしていた事が、
基本の家庭を維持できたことに、変わりはなかったのだが、
それが、父を頼れない、話してもしょうがないという結果になって
しまったことが、皮肉な事なのだと思う。
私は、子という立場で父を見ているので、父の欠点も沢山あるのも
分かるのだけど、口ばかりで偉そうなことを言ったり、
他者をバカにしたりすることが、多い中、
言いたい事をぐっと飲み込んで、
父もまた、若い頃から弟、妹の学費や生活費を稼いでいたわけで、
そんな父を否定するのは、どうかと思うのである。
もちろん、アレ?と思う事もないわけではないけど、
父は、周りと軋轢を生まずに、やっていこうと必死だったわけで、
それを貫いた姿勢は、立派だと思う。
年々衰えてきてはいるけど、そんな父の存在が悲しくもあり、
いとおしくもあるのだけど。そんな風に穴埋めの機会や時間が出来て、
私の中で少しでも父を理解できたのは、良かったことなのか?
そんな風に思うのだ。
今が、大事なのであって、今が無ければ、将来も無いのだ。
今を見つめる事こそ、将来に繋がるのだと思う。
殆どが、将来に、先行きの不安を感じるのは、
今を見ないで、過去に学ばず、確証のない将来の話しを
持っていこうとするからだ・・・。
地に足がついていないとは、まさにこのことだと思う。
今がないのだから・・・将来があるわけがない。
娘は、未知への不安はあっても、少なからず、
己を見つめる時間は、たっぷりあるわけで・・・。
だから・・・学歴で、不登校で将来を悲観していない。
寧ろ、想像力豊かで、現状で何が一番楽しいのか?
これは、状況判断が出来、こうなるであろう予測を過去から
学び、結果、未知の部分を探求できるかもしれないし、徒労に
終るかもしれないことを予測して、尚且つ、それでも時間や
経費を費やしても楽しめることなのか?
そんな事を学んでいるのでいるのだ。
数学や化学で必要なプロセスを学んでいるのと同じだ。
学校では、それを個別に出来ないから数学や化学を
教えているのだけど、答えよりは、式が重視されるのは、
誰よりも分かっているだろう。結果は、結果でしかないから。
苦しんで覚えるのと楽しんで覚えることは、結果として同じだが、
プロセスが違うわけで・・・。
私は、楽しい方がいいので、同じ結果となるなら
後者をやるだろう・・・。
私のブログは、行かない自由と、心の平和が、ベースなので、
何が自分に足りないのか、自問しながらも
楽しく、やっていくことを貫きたいのだ。
それが、私の求める心の平和に繋がると思うからだ。