最近何でも疑ってしまう私で御座います。

と、申しますのも所謂、報道や書籍などで、

まぁもっともらしいことが定着し、それがスタンダードだと

信じこまされて成長しちまったトラウマなのでしょうか?


まぁその疑う事の大事さで思い出した事が一つ御座います。


はるか昔、私が小学生の頃なんで御座いますが、

当時、小学6年であろうと、パンツ一丁で身体測定を

やらなければならなかったんで御座います。

さらに、その測定には、男の教員も同席するのです。

身長・体重・胸囲・座高を測るんで御座いますが、

当時の私は、バスト85cm・ウエスト58cm・ヒップ88cm

体重50kgのダイナマイトボディーで御座いました。


当然、男性の教諭の同席を不快に思うのは当然とばかり、

担任、保健室の教師に、男性教諭の退席をお願いしましたが、

却下されまして、私もそのまま帰宅しました。


後日、教員からの回答は、「子供の成長を喜ぶことはあっても

決して、性的な思いで見る教員などいない」などという

ヴァカな回答を寄こしてきたんで御座います。


昨今、教員の性犯罪のケースを見ますと、

急に増えた訳ではなく、最近は表に出やすくなっただけ

なのだと思えてなりません。教員の性犯罪率は、サラリーマンの

なんと15倍にのぼるというデータも御座います。

私にそんな事を言った教員は、今も胸をはって私の前で

同じ事を言ってみろ!と思うのですがねぇ・・・。


また、昔は怪我をしたら赤チンは、常識だったものですし、

腹が痛ければ、保健室で正露丸を飲まされたものです。

でも、今はそんなの非常識中の非常識で御座いますし、

ましてや赤チンは、製造禁止で御座います。


新しく科学的に立証される非常識も御座いますが、

はたして、今現在常識だとか、当たり前がそうかというと、

これも分からないもので御座います。


最近の情勢を見て、感じて思うのだが、ブレーキの壊れた

暴走列車のような気がしてならない。

昔は、GHQにでさえ物申す白洲次郎 など気骨のある方も

いたのに、今ではそんなブレーキや一時停止の標識さえも

無いような状態である。


まだまだ甘チャンの私ですし、変な考えの捕らわれのような

そんな感覚を持ち合わせておりまして、

子供と会話していますと、ハッとすると言いますか、

何でこんな単純な事に気づかなかったのかと驚きます。


与えられたものの中から、選ばされ、考えさせられているにも

関わらず、さも自分が考えたかのような

錯覚の多いことと恐ろしくなる事もしばしばで御座います。


私は思うのだが、今のこの情勢がいかに、

考えない事が軋轢を生まず、適当にやる事こそ調和なり・・・

かのような事が背筋凍るほど恐ろしい。


まずは、身の回りのものから疑ってみた方がいい。


メタボ検診なるトンデモを考えてみて欲しい。

ありえないから・・・心ある医師はいないのか?