さて、昨日の私の記事及びコメント欄を見て頂くと、
本当に、日本人を一括りに言うつもりはないが、
何て、下品な人の多い事かと思えてならない、
私の日常なので御座います。
だからというわけではありませんが、私は、
この近所などで、人間関係を築きたいとは思えないのです。
私の住んでいる地域は、
旅の恥は掻き捨てではなく、日常の恥を背負って
歩いている方達の多い東京の貧民窟で御座います。
私もその貧民の一人ですが、恥という
素敵な感覚は持ち合わせていますので、
昨今の中国叩きのような方達を見ると、人権意識が高いと
勘違いされている事の多いことよと思うのである。
天安門事件の時もたった一人で戦車に向かって抵抗した
人もいるし、言論や報道規制の多い中国であって、
あの広大な中国にもこのようなチベットに対する政府側の
理不尽さに怒りを覚える漢民族もいるだろう、しかし、
中国では、一切そのような中立的な報道など、
皆無なのである。だが、報道されないだけで、政府に
反対している人がいないという事では、決して無いのだ。
私は、中国を擁護するとかそんなくだらない、白か黒か
のようなそんな意識なども無く、ただ、日本人やこの
日本において、そうそう中国を批判できるようなそんな
民度の高さだとは思えないと感じている。
たまたま面白い事に、知人にチベット人ぽい人
(無国籍を選択しているので)がいるのと、
身内に中国学研究をしている者がいたので、
昨今のこのタイムリーなニュースを話す機会にも
恵まれていたのは、とても幸運だったともいえる。
そして、これまたタイムリーな事に、私が最近読み終えた
本が、古代中国刑罰史だったりするのだ。
(どうして、読むに至ったかは次の機会に述べるが)
さて、この日本で報道と言う名の暴力を普段私達は、
眼にしていないだろうか?
すべてとは言わないが、本当に中立を保っている
ようには思えない。確かに中国ほどではないが。
特に殺人事件などは、顕著にその変な懲罰的な報道が
目に付くのである。
例えば、犯人が一人暮らしで、別に田舎には
両親、親戚などいた場合、そこにまでズカズカと入り込んで
インタビューしたりする。
また、刑務所等は男性は、坊主頭だったりする。
文化大革命よろしく、言論統制のような人権擁護
という名の法案を政府は出す始末である。
そんな国の国民であることを私は嫌悪している。
さて、上記に書いた事と同じような構図が
古代中国でもみられるのだから面白い。
人は、本当に歴史を繰り返すものだと思う。
髧鉗(こんけん)といい、剃髪し、枷をつけるという
意味なのであるが、それとセットで、犯罪に合わせた
労役が各段階あるのです。
また、連帯責任かのような、犯罪を犯した一家を
どんなに世帯が分かれていようと、
皆死刑にする等の刑も御座いました。
これは、中国だけではなくて、イギリスやフランスでも
同様な刑が御座いました。
形は違えど、行っている行為そのものは、
何ら今も変わりがないと思います。
また、言論統制や思想統制のようなそんな教育を
行って、それに反対しよう、意見を言おうものなら
抹殺するかのような、所謂モンスターペアレントという
遊戯王カードのような名前の報道が御座います。
私は、大逆転できるような召還カードが御座いませんので、
瞬く間に、格好の餌食になってしまうことでしょう。
よく、「そんな言い方しなくても・・・・」等言う方が
いらっしゃいますがね、例えばですが、
優しい物言いで、「あなたの下着は何色?何をしているの?」
と言った場合と、攻撃的なもの言いで、
「お前の下着は何色だ?何をしているのか言え!」
と言った場合でも本質は、変わらないのです。
下着の色にハァーハァーしたいという本質が、
声色一つで変わりません。
ですから、「そんなつもりで言った訳ではない。」だとか
「そんな言い方ではなかった。」などと
どんなに言い訳しようと、本質は、何ら変わらないのです。
変質者が、優しい物言いで幼い子供に近づくのは、
声色一つで警戒され難いという事を知っているからだと思う。
オーラのデブが、ゆっくりと優しいもの言いなのは、
それが、人を安心させたり、?のような事でも
くだらない相手の話しを熱心に聞くという何気ない
その行動が信用されやすいというのを知っているのに
他ならない。カウンセラーとしての資質は充分なのに、
極端な金儲けに走ってボロを出してしまった情けない奴だ。
しかしね、コメントにも書きましたが、
学校へ行かない事は、人によって理由は様々で御座います。
ですが、何も知らないあかの他人が子供相手に、
親には聞き難いからと言って、「何で行かないの?行けば?」
かのような事を言う事と、人のパンティーの色を聞きたい
イヤラシさに、私は何ら変わりのない下品さを感じる。
パンティー中なのか、よその家の中なのか、それを
覗きたい欲求を満足させたい、下品な感情に変わりは
ないと思っている。
