先日のことなんですが、某朝の子供向け番組で、

卒業するのを期に別の学校へ行く友達に

仲良し○人組が、いつまでも友達だから・・・

親友だから・・・のような事をやっていた訳ですよ。

そして、その友人に結婚式の時に、親宛てに

読む手紙よろしく、友達宛てに本人の前で、

親友だの、仲間だのを強調するような内容の手紙を

読んで涙するシーンが御座いましてね。


私としては、内心気持ち悪いなぁこいつらと、

まんまとテレビ局の意図に乗ってしまった私40歳。


そこで、背後から我が娘の声が聞こえてきました。


振り返ると、カメラを担いだ仕草をしながら・・・・


「はーーいOKです。お疲れ!」

そんなことを言いながらその仕草のまま指でも

OKマークを作って、その番組のカメラマンのような、

プロデューサーのようなそんな娘・・・。


「今の涙良かったよー。」・・・・・ブツブツ言っている。


その日は、正しいテレビの見方を教わりました。あ゛ぁ゛っ


最後に娘のブラックなもう一言・・・。

「30年後も友達なら褒めてやるよ・・・・。」


いえね、決して娘が捻くれている訳じゃないんですよ。

こういう、意図的な何かの時に毒を吐くんでしょうかねぇ。


仲間は、決して裏切らない幻想を小学生って、

叩き込まれるじゃないですか、もし、揉めても

最後は、教師の裁量でこれまた、いがみ合った

いけ好かないもの同士で握手させたりする

自慰行為の好きな先生っていますもの・・・・・。


現実は、そんなもんじゃないですよ。


幼馴染に旦那をとられた・・・・とか、

お金貸したら逃げられた・・・・とか、そんなの珍しくも

何ともないですしねぇ・・・。


私も含めてなんですが、人って完璧じゃないし、

結構邪悪だったりしますけど、その本能のままに

動くと生活する上で不便だったりするから、自制し、

より友人、知り合いを多く持つ事は、

何かと有利だったり(利益以外の所謂、よりどころも含め)

するから、好かれるようにだとか、嫌われぬように、

努力したりするんじゃないのでしょうか?


その結果、オノレの中にある様々な感情を

自分自身が理解して(私は、まだその域に達してないが)

はじめて、どのように生きたいか、逝きたいのかを

人生っていうのかしらね?なんて思ったりするんですが。


西洋思想的に人権意識が高まったりしてますが、

これもまた、難しい問題でしてね、200年以上かけても

答えなんてないのですよ。


インドのカースト制なんてそのいい例で、

ヒンドゥー教や仏教などもインドに御座いますが、

結局のところこの現代においても、

身分や出自で、命さえも左右されるんですよ。

法的な部分は、別として。

私刑なんて、日常で行われていますし、

それに、年齢・性別による差はなくて、大人に

子供が不条理な理由で殺されても、身分の違いで

許されてしまう部分があるものです。


そこには、友情も慈悲もなく、これまた人間が、

勝手に決めた身分だけなんですよ。


人なんて、所詮その程度のものだと思いますよ。

現に教師もバカなアンケートに答えて、

親の収入が子供の教育レベルを決めるみたいな

何とかありますけど・・・・。

・教員の教授するレベル

・教科のレベル

に関しては、数値化しないんですよね。


私は、親の物事を読み取る力の低下だと思いますけど。


学校では、教師が勉強を教えるはずが、教えられない

現状があり、レベルを下げないと取りこぼしてしまう。

だが、本来の教員の教授の方法やレベルが低いので、

子供の学力を下に引き下げただけの効果しかなかった。

(だが、塾や参考書に頼られると、今後、自分達の立場が危うくなる)


さて、このゆとり教育を推進した張本人は、

大阪の今度開校する韓国人エリート養成学園の

顧問とか、何とか。


ここまで読めなかったとしても、そもそも学校に危機感を

持たなければならない時期にきていると思う。


そうなると、思想教育していかないとならない。

↑今ここあたりなんじゃないですか?日本の公教育って。


学校が「学校は、ちゃんとやってますから。」って言う場合は、

「最低限のことは、やろうと思いますが、何か?」と

読み取るのか、

「学校でも教えるけど、家庭でも教育は必要」と思うか、

「学校がちゃんとやってくれるから心配しなくていい。」

と思うのかは、親が判断しろってことなのだと思う。


私は、教育もすべて学校に任せるような、そんな

安心な材料が一つもないので、行かせてませんが・・・何か。


そんな休日である。