個性的な講師と、これまた個性的なスクール生の面々・・・


いつものように、私は英語の勉強をはじめ、他の子たちは、

それぞれの課題をこなします。

先生から見ると私は、英語という言語を通して、そして漠然と海外に行くんだ

という目標を通して、とても危なっかしいものを感じていたのだろうと思うのです。

また、私のような捻じ曲がった根性の人間もそうそういなかったのでしょう。

私がここで学んだことは、英語よりも何よりも己を振り返り、己とはなんぞや?

ということを気づかせてくれたことにあります。

もちろん、答えの出るものではありませんが、その時々の現状と感情と予測できる

だけの現象を自分なりに考える・・・・・・という考え方を教わったような気がします。

人ですから判断を誤る事もありますが、そこからでも上記に述べた事を考えることは出来るのです。


日本語を普段喋っている私は、現状を客観的に判断することなどありませんでした。

英語を習うと、現在進行形、過去進行形、未来進行形という文法を習います。

例えば過去進行形でいうと、通常私達は、主語+be動詞の過去形+動詞の‐ing形と

習います。考えてみてくださいよ。

私達は、現在という点の上に立っていているのです。

タイムマシーンもありません。ですがね、英文法的に考えると、

過去も進行していて、未来も進行しているんです。

ですので、描いた、行動したそれぞれの未来が進行するように、

描いた、行動した過去も進行するのです。

それは、予測という事、こうしたい・なりたい、

こうであったならこうであった・・・がなければ、

現在が存在しない事になるんです。

すごく当たり前な事に気づかなかった自分・・・・・。

例えば、ラーメン食べたいと思ったのに、カレーしかなかった。

そこでの未来は何通りも存在するのです。

カレーを食べる、ラーメン屋を探して食べる・・・・・そこにも未来があり

とびきりおいしいカレーに出会えた、徒労のわりに不味いラーメンを食べてしまった。

そこから現在の自分の過去と未来がまたまた進行するのです。

という、当たり前でありながら気づかなかった言葉と感情。

英語にしろ、国語にしろ、他言語にしろ、言葉を学ぶということは、

感情・風土・習慣・・・・・・・沢山の事を学べるということを教わった日でした。


そんな中、先生に教わった言葉で、気づきという言葉があります。

先ほどの言語とは別で、気づかないとは、そこから先がないことといった

意味になるそうです。その話しはまた、この次に。