これから書くことは、私が中学の時にあった本当のハナシ・・・・。
トップにも書いてあるが、私自身そんなにデキのよろしくない子供であり、
当時、登校拒否・不登校なんかは、病気だとか、怠けモノだとか、親の教育に問題があるだとか、そんな社会認識の時代でのこと。・・・・まぁ今でもそんな感じかもしれないのだが・・・・・。
今でも振り返るのだが、親との距離をすごく感じたし、私がやりたい事は、ことごとく反対されたし、(捕まるようなことではない。)とにかく、意見が合わなかった。
私は、兄弟の一番下であり、何かにつけて兄は、育てやすかったようだが、私は、とても育て難かったようだ。家にいるのも苦痛だったし、かといって学校も苦痛だった。
そして何より母にも拒絶され、育てたくない・・・この子は、周りの同情をうまく利用して好き勝手したいだけ、などと言われ、挙句の果てには、児童相談所へ入れられてしまう。 まぁね、こういう事は、未だに自分の中で消化出来ないんですよ。
ただね、その児童相談所という施設、私にとっては地獄のような日々でした。
日本では児童福祉法で、14歳未満の子供は、児童相談所の一時保護課という所へ
預けられるのです。少年法は、14歳からですが、当時は、何と16歳までいました。そこは、子供にとっていい環境とはいえない所でした。
まず、私が入所した時は、私以外に交通事故で、親を失った子供、火事で親を失った幼児、家庭内暴力で、親を刺した子供、シンナー中毒、覚せい剤売買、親を殴って重症を負わせた子供、継母に虐待された子供・・・・・とにかく、色んな事情の子供が、同じ場所で、同じ部屋で、同じ寝床で、鉄格子の中、自由もなく暮らすのです。
それが、どんなに大変なことか想像つきますか?
さらに、そこには、男の教官もいるのですが、風呂に入る時、洋服の着脱から洗体までずーっと見られたりします。他にも中3の女の子は、その教官とお風呂に入りましたし、抜き打ちでタンスの中のチェックがあるのですが、私は、生理用のナプキンをバラバラにされましたし、(下着は、各自自分で手洗いするので)もう一人の中2の女の子は、みんなの前で、洗う前の下着を裏返しにして、「このおりものの色は異常だ」と見せつけ、延々と性病についてその下着を持ちながら話していました。
それが元で、中学生全員が婦人科検診を強制的に受けさせられました。
書き出せばキリがないほど、ここでの生活は、酷いものでした。
非行少年は、家族が引き取らない事も多く、教護院に送られるまでの中間施設的な役割がある所なのですが、その子が教護院に行きたくないため、脱走をして数時間後に見つかった時は、顔は腫れ上がり、一人で歩けないほどに痛めつけられました。何せ、機動隊に捕まってしまったようで、悲惨でした。
あれから20年以上経っていますが、多少改善されたと思いたいのですが、
そんなに変わってないと思います。
ましてや子供の場合、それが人権を侵された行為であっても、訴える術を知りません。そして、その卑劣な行為だと分かっても時効があるので、どうにもならないのです。 あの時代は、戸塚ヨットスクールだの民間の矯正施設のような所に、親は子供を入れて、治すという判断の元、あるの者はリンチに遭い、あるものは死に、あるものは、心に消えない傷を残したのだと思います。
私が、不登校や登校拒否を治すという感覚に腹を立てるのは、上記の経験があったからなのです。
私も児童相談所で、リンチに遭いました。
だからというわけではありませんが、大事な子供を誰かに預けるような事は、したくないのです。そして私の経験上、家は、安心できる所、気の休まる所、甘えられる所、守ってもらえる所でなければならないのです。
子供を守れるのは、親なのです。どうか、子供が死ななければならいとか、追い込むようなことは、本当に心からやめてもらいたいし、子供を手放すということは、子供自身、あるいは、子供の心を殺しかねないことをわかってもらいたいのです。