夕方、トイレからもの凄い勢いで私のもとへ飛び出してきた我が子。

ちょうど、耳の横で、思いっきり太鼓を連打されたような雷にビックリしたようだ。

私もちょうどその音に、ビックリしたので、子供と顔を見合わせ、「凄い音だったねぇ」

などと話しながら、我が子は、いかに雷の音が嫌いなのかを説明する。


さて、昨日は彼女の塾(公文)の日である。バスを待っていると同級生が4人ほど

我が子を見つけて話しかけてきたという。


女の子花輪クン・・・・「何で学校に来ないの?」

にこチャン(娘)「かくかくしかじか・・・というわけで、学校の休み時間に勉強してはいけない    と言われたから・・・・。」 

花輪クン「でもさぁ、学校に来なよ。」女の子「へーそうなんだ。」女の子「さみしいよ、会えなくて。」

にこチャン「でもね、荷物も全部持って帰っちゃたし、まだ、話し合いが終らないし、行きたくもないんだよね。あんな先生のいる所。」


そうして、塾を終えて帰宅して、上記のことを私に報告してから一言。

にこチャン「でもね、みんな何で、休み時間に勉強しちゃダメなの?とか、何で先生は、そんなこというの?とか言わないんだよね。だから、何だか違うなーって感じがした。私なら何がいけないの?って絶対聞くけど・・・・。」


何だか我が子は、同級生とちょっと距離感を感じて帰ってきたようだ。


最近の小4ってそんなもんなのだろうか?

それとも、あとになっておかしい事に気づくのだろうか?


そして、相変わらず今日も担当主事からの連絡は無し・・・・。


子供は、このお母さんの子供になりたいと思い生まれてくるというが、

(私自身は、無宗教です。困った時だけは、神頼みですが・・・・・。)

ひょっとして、うちの子供は命を与えられた時から

私を選んでくれたのかと思うのです。


殆どの場合、親は我が子の幸せを願っているのですが、年齢を重ねたり、少々理解できないと、親自身が混乱するのだと思います。私の母がそうでしたから・・・・。

幸せを願っているのに、その気持ちがうまく伝わらなかったり、我が子を思えばこそ、苦労をさせたくない、この国で、他と違う事を選択する困難さを知っているから

何とかみんなと同じにと考えるのは、自然なことなのですが、

それこそ、不自由な生き方なのではないのでしょうか?

そんな生き方で、あー人生楽しかった。やりたいことも充分やったし、という人生を

親自身が送れていないのなら、そんな重い枷を子供の世代に引き継ぐことは、

本当に悲しい事だと思います。


生きる上で習得すべきこと、学ぶべき事は、いかに幸せに生きるか。

それだけのような感じがします。もちろん幸せの感じ方も人それぞれなのですが、

他者と比較し優位だからとか、そんな感じ方しか出来ないのは、病的だと思います。

一人であっても、仲間がいてもその時、その時を楽しめることが、幸せのような気がします。 気づき という言葉・・・・私の大事にしている言葉でもあります。