私は、たまたま期日前投票をしたので、今日の投票には行かなかった。 どこがなっても一緒のような気がする。ただ、自民党だけは嫌いなので、勝たせたくなかったので、入れなかったですけどね。


みんな年金やら税金問題をあげている中、教育問題は、本当に関心が薄いことにビックリなのだが・・・・。ここ数年で本当に変ったと感じるのは、使えない人間の多さである。 オッサンも、オバサンも、もちろん使えないのもいるのだが、察するとか、先を読むとか、気を使うとか、当たり前に思っていたことが、全然当たり前じゃなくなり、お店や会社関係に伝言を頼んでも返事がくる確率も格段に落ちたし、重要なことなのに、購入前に質問してもたまに、何を血迷ったか、キレル奴まで出る始末だ。 店屋の店員に至っては、初対面であってもタメ口きいてきたり、お前は、友達か?と言いたくなることもしばしばである。


人としてどーよ?のような教員も多いし、昔からの慣習なのか、何だか分からないが、会費の中からお祝い金だの謝礼金だの花束だのお車代だの子供ためのPTAは、親と教員の馴れ合い仲良しごっこの会費と化しているのである。 まったくバカバカしい限りだ。


こんな奴らこれから大量増殖するのに、関心がないなんて、恐ろしすぎる。よくよく思うのだが、この世の中、搾取される立場の人間は、何も考えず、疑問を持たない方が、搾取する側の人間にとって都合がいいに決まっているのだ。 学校での子供たちの教え方を見ると、いかに上からの言う事を守らせるかに重点を置き、大事な個を尊重しない。自分達と考えが違えば反乱分子のような扱いである。 社会全体をみても同じように、徹底的に個人叩きともとれるえげつなさ。本当に吐き気がする。 食べたいものが、実は一番身体が欲しているものと同じように、学校へ行かないということは、実は、子供たちの抵抗というより、ヤバイものを脳に入れたくない、身体の反応なのではないかと思う。


みんな、魂をすり減らしながら働き、食べるためだけに生きることは、本当に生きているといえるのか、甚だ疑問である。

子供だって、勉強や団体生活、押し付け、睡眠不足のまま貴重な時間を過ごすのは、本意ではないと思う。自分らしく生きたいと願うからこそ、もっと違う事をしたいからこそ、自分を守りたいからこそ、学校へ行かない選択をしているように思えてならない。


貴重な一生の一分でも自分の子供の時間を大事にしてあげたい。

と同時に、私自身も幸せでいたいと思う。


今日は、起きたら何しようか、楽しみである。