このところおバカな母親の私は、子供と一緒に小学4年生の問題を解いているのである。つくづく思うのは、読解力がないと、解けない問題の多さである。決してZ会の回し者ではないが、市販の問題集と比較すると、Z会の問題や解き方、考え方の解説の優秀さが分かる。
この年齢になって、問題を解くのが楽しいだなんて、夢にも思わなかった。学校から出される宿題や(問題集を買わされ、それが小出しに宿題になる。)テストと比較すると、その部分だけとってもZ会の教材としての優秀さが際立っているのである。
親にとっても子供にとっても何がいいかなど、すぐに結果など出ないし、その時その時が、充実していればそれが、将来的に1番いいことではないかと思うのだ。自分自身不登校経験者だったので、娘の行動や考えを否定する事もなく、すんなり受け入れられたし、(何せ、アレな人達が先生である。)何がどう幸いするかなんて、分からないものだと思う。私が不登校で困ったことは、気力の保持と、学力の保持、心の平穏だった。
私の時代は、まだまだ、登校拒否は病的なものなどの考えが根強く、母に精神科に連れて行かれ、母自体も私は、狂ったのだと思いたかったのだろうと思う。 たまたま、金儲け主義の病院ではなかったので、措置入院することなく、「お嬢さんは正常です。」(当然である。)と医師に言われ、何度も違う精神科に何とか病気として認めさせたい母と、そんな事はないと、子供ながらに頑固に我を通した自分の戦いの日々であったと思うのだ。 私のように、気の強い子供ばかりではないし、内心、親に迷惑をかけているという負い目を感じ、追い込まれていく子供もいるだろうし、うつにだってなりかねないと思う。ただでさえ悩んだり、葛藤したり、何も悪くはないのに、ひょっとして悪いことをしているのではないか?と自分を責めたりもするのである。親も同様に。
原因もそれぞれ違うし、子供によって性格も違う。だけど、学校に行きたくない、行きたくても行けない、それぞれの理由から現状学校に行っていないという事実のもとで書くのだが、親が幸せそうにしてたら子供って安心しないかな?と思うのは私だけだろうか?
私は子供に幸せになって欲しいし、人をあざけり、落とし入れ、騙し、それによって得られる富や地位、それが楽しいと思う歪んだ人、そんな人間もいるという認識を持つのも必要なことかもしれないが、そんな人になってほしくない。
というか、ならないと思う。どうしてそう思うのか?
だって、私の大好きな子供だもん。世界中にこんなに愛せる存在に未だかつて出会ったことないし、こんなに一緒にいて楽しいなんて、この子以外にありえない。10歳でこんなこと思わせてくれるなら、これから先楽しみで仕方ないのだ。
私自身、子供にウザがられるほど、全身で子供LOVEなのだ。
現状何をやっているのか?無意味に見えることでも実際、何らかの意味のあることで、確実に本人の経験値として蓄積される。
焦る事はない。昔から言うじゃないか、慌てる乞食は貰いが少ないと。