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1/27 大阪の弁天町で菊池先生の講演会を主催しました。

小学校、中学校、高校、大学の先生方、
小学校外国語活動に関わる先生方、
民間の英語の先生方、
そして、保護者の方々やコミュニケーションや人材育成に関わる方々が集まってくださいました。

菊池先生は、NHKプロフェッショナル 仕事の流儀にも出られた、北九州の小学校の先生です。

現場にこだわり、長年こどもたちと共に歩む道を選んで来られました。

崩壊した学級をつぎつぎに立て直し、温かく活気のあるクラスを創って来られました。

数々のご著書の中には、どうやってそれをやるのか?という事を書いておられます。

菊池先生は、コミュニケーションワーク、ディベート、インプロ、ブレーンストーミングなどの手法もたくさん使っておられます。

そして、それを、そのまま使うのではなく、現場のこどもたちに合うように加工して使っておられるのが素晴らしいです。

先生の信念の成せる技だと思います。


昨年、北九州に先生に会いに行きました。

先生のご著書を読んで感動したからです。
でも、ひとつ、ひっかかることがありました。

先生は、「ほめ言葉のシャワー」ということを仰います。

わたしは、常日頃から、児童英語の先生に対する講義で、「ほめるな」と言っています。
とにかくほめる、という手法は、必ずしもこどもたちを伸ばすとは限らないし、ダメにすることも案外多い感じているからです。


ほめる?
ほめない?


民間の児童英語の教室では、先生はこどもたちをよく褒めます。

単語が言えたら褒める。
文章が言えたら褒める。
なんでも褒める。

褒めると、退会者が減るのです。
褒めると、こどもたちは、機嫌良く通ってくれるのです。
褒めると保護者は、機嫌良く通わせてくれるのです。

商業的な思惑が混ざり混んでいるかもしれないことを、よく注意して、自分自身を点検するべきです。



褒めると、こどもたちは、先生を好きになってくれます。
褒めると、こどもたちは、先生の思い通りに動いてくれるようになります。


褒める。
それは、危険性を伴う。

褒められるからやる。
褒められると嬉しい。
褒められないとがっかりする。
褒められるために頑張る。

それは、こどもたちの内発的な動機による行動ではありません。

わたしたちは、こどもたちに、自分の意志で自分のために、あるいは人のために頑張る人間になってもらいたい。


最終的には、人に褒められなくても、たとえ誰にも認められなくても、自分の信じるもののために頑張れる大人になってもらいたいのです。


それには、長い訓練が必要です。

外発的な動機を与えすぎて、内発的な動機が育つのを妨害してはなりません。


だから、「ほめる」ことには、注意が必要だ、と思います。


わたしは、菊池先生に、この想いをぶつけました。

「先生、わたしは、間違ったほめ方は、こどもをダメにすると思います。先生は、どうおもわれますか?」


先生は、丁寧にお話くださいました。
お話を伺って、はっきりわかりました。

先生は、「ほめる」というより、「見つけている」のだ、と。

こどもたちの素晴らしさを発見し、それを言葉にして、我々人間は、素晴らしい存在なんだ、ということを、あらゆる言葉を使って伝えておられるのでした。


どんな人間にも、良い部分はある。
どんなにやる気のないように見える人間でも、実は、どこかで頑張っている。

それを、先生は、見つけて、認めて、言葉にされるのです。
ですから、やみくもに褒めたり、とりあえず褒めたりはされません。

そんな大人の嘘は、こどもたちはすぐに見破ります。そして失望します。


先生は、こどもたちが仲間の良いところを探して見つけられるように導きます。

つまり、愛情深い人間を育てているのです。

いいところ、頑張っているところを見つけるには、観察が必要です。
関心がなければ、見つけられません。

愛情の一歩目は、関心。
愛情の反対言葉は、無関心。

そして、どういうことが素晴らしいことで、どういうことがそうでないのか、こどもたち自身て判断できるように導きます。


先生は、それを、価値付け、という言葉で説明されます。


「ほめる」という行為そのものが素晴らしいのではありません。


それは、単に表現の一部であります。


先生は、「ほめる」という事を通して、こどもたちに、価値基準を学ぶことを教えておられるのです。


その前提には、先生の強い信念がある。
つまり、北極星がある。


それが無いほめ言葉には力がない。
信念のない指導は届かない。

そういうことを、今回のご講演で学びました。


ご講義をいただいて、わたしが頑張ろうと思ったことは、「こども同士でほめる」クラスカルチャーを作る、ということです。


月曜日、火曜日、水曜日と、それについて、いろいろと試してみました。

友達に関心が薄い子にとっては難しいことでした。

「だれだれくんの、どんなところが素晴らしかった?」
「一生懸命やってたところ」
「何を一生懸命やってたん?」
「口の筋肉をいっぱい使おうとしていたところ。」
「そっかー、よく見てたねー。」

小学校外国語活動では、わたしは、支援員という立場です。
ちょっと出しゃばりかな?という心配もあるけれど、もう一歩踏み込んで、やってみたら、クラスが変わりました。

よっしゃ!!


今後もあれこれ試してみたいと思います。


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