奈良市にある東大寺の大仏殿内で明治時代に見つかり、国宝に指定されている鎮壇具のうち2本の金銀荘大刀が実は約1250年間、その所在が確認されていなかった正倉院宝物の大刀「陽寶劔」と「陰寶劔」だと判明した。
陽寶劔、陰寶劔は聖武天皇の遺愛品で、妻の光明皇后が献納した後、正倉院から持ち出された後、行方がわからなくなっていた。
今回の鎮壇具は1907年に、大仏の右ひざ付近の須弥壇から出土したもので、金や銀で装飾された大刀6本や銀製小壺など計19件あるものだ。
今回、金銀荘大刀2本をエックス線で撮影したところ、刀身の根もとに「陽劔」「陰劔」と象眼された銘が確認されたのだという。
また、その刃の長さや把にサメ皮を使った点なども、正倉院宝物の目録「国家珍宝帳」に記載された陽寶劔、陰寶劔と一致したことも明らかになった。
「国家珍宝帳」とは、聖武天皇の遺愛品を756年、妻の光明皇后が東大寺大仏に献納し、正倉院に収めた宝物の目録で、中でも陽寶劔、陰寶劔は大刀100本の筆頭に記され、最重要の刀とされていた。同刀は陰陽一対で万物の調和を願ったものだという。
陽寶劔、陰寶劔は、国家珍宝帳のうち、後に持ち出された「除物」の付せんがある7点のうちの2点で、正倉院の「献物出用帳」には、光明皇后が亡くなる約半年前の759年12月に持ち出された記録が残るが所在が不明だった。
「除物」扱いの宝物で、所在が特定されたのは今回が初めてのことだ。
さらに今回の調査で、別の銀荘大刀には北斗七星を象眼した七星文がある事もわかった。