台湾の方の中に親日派が多いと良くお聞きした事がありますが。。。
こんな方もいらしたんですね。。。。
広枝さんは明治38年に神奈川で生まれ、逗子の開成中学、日本大学予科へと進学された方で、昭和5年には台湾で競争率100倍という難関を突破され、台湾総督府の巡査となられ、その後、警部へと昇進され、台湾で2千名からなる海軍巡査隊の総指揮官にまでなられた方です。
マニラに赴任された広枝さんは戦況が悪化する中でマニラに上陸した米軍に対峙していたのですが、日本軍上層部からついに棒地雷を渡され、「敵戦車に体当たりして全員玉砕せよ」との命令が下ったそうです。
その時の広枝さんの行動が素晴らしかったのです!
広枝さんは米軍に台湾人全員の命の保障をひそかに交渉した後に、台湾の人々を集めてこう語ったそうです。
「諸君は、よく国のために闘ってくれた。だが、もう良い。戦闘の続行は不可能である。とはいえ、ここで軍の命令どおりに玉砕するなど犬死である。諸君等の祖国、台湾には諸君等の生還を心から願っている家族が待っているではないか。全員、たとえ米軍の捕虜となろうとも生きて帰ってくれ!。責任は全て私が取る。私は日本人だからね。。。」と語り、壕に1人で入って自決されたのです。。。
その結果、台湾の2千名の兵士は全て帰国できたそうです。
かつての日本には、軍の命令を無視してまでも国の誇りを守る漢が居たんですね。。。
(私は玉砕が国の誇りだとは思いません。むしろ、そういう命令しか出来なかった上層部を恥だと思います)
人の命は何ものよりも重いのですから。。。
もちろん戦死した今はなき英霊達を誇りに思う事に変わりはありません。。。
しかし台湾の方を自らの命と引き換えに助けた広枝さんを今の日本人は何人知っているでしょうか。。。
広枝さんの行動は賛否両論あるでしょう。。。でも私は同じ男として誇りに思います。