【自閉症の弟をもつ障害児通所施設職員の女性の文章】
*発達障害って何?*
私は今年28歳になります。
弟が自閉症で知的障がいもあったから、弟は福祉にお世話になって生きてきました。
今もそうです。
弟を育てている母を見てきました。
私はお姉ちゃんだし、母に心配をかけてはならないと、ずっと我慢をしてきました。
障害をもった人は福祉にお世話にならないと生きて行くことはできないのだと思い、私はもっと福祉について知ろうと、福祉系の大学へ進学しました。
大学を卒業してから社会福祉士として、社会福祉法人で働くようになったのが、6年ほど前です。
知的障害を伴う自閉症の弟をもつ当事者家族の私が、福祉支援員となりました。
職場の人たちは私の弟が障害者だということは知りません。
私は、常に弟のために我慢をしてきましたが、母のことは大好きです。
弟に嫉妬しながらも気になる存在でありました。
弟が障害者だということを敢えて職場の人に話していなかっただけでした。
私は障害児が通う通所施設に配属されました。
私は障害児は弟が基準でした。弟はこだわりが強く、こうと決めたことは何が何でもやらなければおれません。
手洗いにもこだわりがありました。
20分くらい洗います。
窓のサンに拾ってきたどんぐりをきれいに整列させて並べていました。
私がふざけて倒したら、大パニックを起こして、私はただふざけただけなのに、めちゃくちゃ悪者になってしまいました。
これは教訓となりその後は絶対に彼の邪魔はしませんでした。
言葉もほとんどなくて、発するとしたら、こちらが発したことをオウムのように返してきました。
だから、弟が考えている事なんて全くわかりませんでした。
しかし、私が配属された障害児の通所施設の子どもたちはというと、「自閉スペクトラム症候群」と診断をされているいわゆる「発達障害児」でした。
障害児の基準が弟だった私は、驚きました。
これで「障がい児なの?」です。
これじゃあ、私も今だったら「障がい児」と思えました。
3歳児クラスを受け持ちました。
来ている子の半数は早生まれの子たちでした。
「多動」「衝動性」「過集中」「過干渉」「過敏性」などなど・・・小児精神科のドクターが出してきた意見書にはそのような言葉が並んでいました。基本は「自閉スペクトラム症候群」という診断名。
もはや、私の頭と心はパニック状態でした。
今もなお、その施設で働いています。さまざまな疑問を抱えて働いています。
自分の精神を保つために話を聴いてもらったり、このような文章を書くことをしています。
あまり簡単に我が子を「発達障害児」にしないでほしいと切に願っています。
成長はゆっくりの子もいれば早い子もいます。
その子一人一人の能力の違いもあります。
しっかりとその子、我が子を見てほしい。私も、もう少し経験を積み、たくさんの「障がい児」と出逢わせていただき、これからの未来を明るくしていきたい。
私もいずれ安心して子どもを産み育てたいと思える社会にしたいです。