【人間関係が崩れるとき】
3年に一度くらいの割合で
人間関係が終了する経験をしているような気がします
私の特性なのかも知れませんが、私は目の前に来た人は何らかの過去世とご先祖さまの因果によって会わせていただくのだから、大切な人として接してしまいます
それは営業に来られた方でもです
親子関係も、きょうだい関係も、夫婦関係も、そして同級生となること、同僚になること、一緒に働くこと、そこに何らかの過去世とご先祖さまの因果があるって思わずにはいられません
なんの因果か…と思います
良い縁だと思いたい
しかし、その人間関係は崩れてしまう場合がある
近づきすぎるとそうなってしまう
崩れるときは一瞬
その崩れるまでの共に歩んだ時間は華やかでもなんでもなく、とても居心地がいいわけでもなんでもなく、
どちらかと言えば、コミュニケーションに工夫がいる相手だ
何で、こんなこと言われてまで一緒にいるのか・・・と思いながら共に歩む
いずれ、私が伝えたいことが伝わるだろうと、あれこれと手立てを考える
そして、伝わらないときに何らかの事件が起こる
あー、何の教えなのか??と思い考えて、また伝え方を工夫し、一人で考えず、仲間と共に考え、その相手に良くなって欲しい思いで伝えてみると・・・
こうしてほしい、ああしてほしい、自我をむき出しにさせてしまう
うーん。そうね。しかし、私にも心がある
違う意見を言ってみる
すると
もうやめて!!となる
結局、お互いに思い通りにならない間柄となる
思い通りにしたい
でもならない
どちらが良い悪いではないが、例えば、「嘘をつくのはやめなさい」「不健康なら暴飲暴食をやめなさい」「ストレス発散と言い、賭け事をし続けるのはやめなさい」「意地悪をするのはやめなさい」のような内容の事を私が言う
このように「やめなさい」と言う言葉は使わない
「こうしてみる?」や「この人、こうしたら良くなったんだってー」などと工夫をしながら情報として伝えていくのだが…伝えたいことは「やめなさい」なわけですからね…3年くらいたつと…私の言いたいことが分かってきて、それはしたくないこと、逃げさせてってことで…
「や・め・ら・れ・ま・せ・ん」と言う結果となる
ありのままの自分を認めてほしいのだろう、間違った行動だとしても
「嘘ついても良い」「不健康なのに好きなものを好きなだけ食べても良い」「賭け事はじゃんじゃんやって良い」「自分のストレスのはけ口として意地悪をしても良い」に同調することはしない
それを、言葉を変え、合わせつつ、私の背中を見せつつ…行動してみるが、3年…私は変わらないから、きっと私の厳しさに辛い思いをしていたのでしょうね。
私の存在は時には人間の「自己肯定感」を下げてしまう
それはそうだと思う
まだまだ、そのような人間を助けることが私にはできない
どうしても都合の悪い人間になってしまう
ここをどうしたらいいのかは私自身の問題だなー