いつもの風景を改めて見てみると(1) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

年も明け、昨年の記事をつらつら読み返してみると、かなり以前の記事に、「なぜかほっとする」という題名で、私が大阪から家内の実家のある岡山へ向かう間に肩の荷を降ろしたようにほっとする、というお話をさせていただいた。

なぜかほっとする


その記事の最後で、家内の実家にいる時は自宅にいるよりゆったり時間が流れているように感じる、なぜそう感じるのか検証してみたいというところで筆を置きました。


そこで、年も改まり、少し自分自身を振り返ってみるため、自宅や会社に居る時はなぜゆったり時間が流れないのかを「なぜかほっとする」の記事で検証したのと同じく自分自身が目にしている風景を撮影して検証していってみようと思い立ちました。


具体的には自宅、通勤途上、会社内で私が見ている風景をデジタルカメラで撮影し、その撮影してみた風景の感想を書き出してみようと思います。



まず、自宅から見える風景がこちら


空001


自宅は集合住宅に囲まれた中にあります。


ご覧のように窓を開けると向かいの部屋が丸見え(向こうからもこちらが見えていると思う)なので自宅の窓は磨りガラスになっています。


暖かくなってくると窓を開ける機会が増えるので、夏季は常時レースのカーテンを閉め切ったままです。


カーテンで遮られてはいるものの、やはり見られているような気がします。


さらに周りの高い建物に遮られて、見晴らしも利かず、空もかなり首を傾けて見上げないと見えません。


こう見てみると、自宅から亀のように首をぐっと伸ばして上に向いて狭い空を見上げてるんだなと改めて実感します。


夏季でさえも時間帯によっては建物の影なって陽が入らない。(冬季だとなおさら長時間陽が入らない)


また、周りの建物がすぐ目の前にあり、壁がせまってくるような圧迫感も感じられます。



以前の記事(なぜかほっとする )で大阪を出た列車の車窓から見る風景に通ずるものがあるようです。


次回は自宅を出て、通勤のため最寄り駅へ行くまでの風景について検証してみたいと思います


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。