東京大衆演劇の"こいわわずらい"と野望。 | 大衆演劇の納得と共感ブログ☆川崎大島劇場より愛★

東京大衆演劇の"こいわわずらい"と野望。

芝居も舞踊ショーも流れを切らないことが大事だと思うんです。


せっかく盛り上がってきたのに、幕間でモタモタされたらボルテージ下がるじゃないですか。


東京の大衆演劇はそこら辺が下手で、幕間でモタモタしがちだったんです。最近は解消されつつあるのかも知れませんけど。


関西の人気劇団はそこら辺抜かりないですね。なるべく流れを切らないように工夫してます。


舞踊ショーの流れが一番上手いのは劇団九州男でしたね。この劇団は曲と曲との間を開けないようにしてます。次の役者が出てくるまで綺麗に繋いでましたね。流石、良太郎だと思います。他の劇団も見習うべきだと前から思ってました。


御祝儀タイムでも音を切らさないことを最初に始めたのも多分、劇団九州男じゃないかな。御祝儀タイムで流れが切れると観ている方としては残念じゃないですか。かといって、踊りそっちのけで御祝儀ばかりもらっていても、「ユーは何しにステージに?」状態ですし。


ゲストで出てきて綺麗な衣装着てるのはいいけど、踊らずに早速御祝儀もらいにいって、もらってるうちに曲が終わって退場するとか。


シホー友也がやりがちなやつですね。


嘘でもいいから一番くらいは踊ってから御祝儀もらいに行って欲しいですね。


良太郎はなるべく踊ってから御祝儀もらいに行ってましたし。そこら辺よーくわかっていらっしゃる座長だと思います。


若丸は御祝儀もらう時、めっちゃ嬉しそうな顔してますね。実に正直だと思います。


里美たかしは御祝儀タイムの曲とちゃんと踊る曲とのメリハリをきちんとしてますね。


舞踊ショーの流れを切らないのは大事だと思います。お客さんの9割は舞踊ショーを観にきてると言っても過言ではないですし。芝居がグダグダでも舞踊ショーが締まればきょうびのお客さんは誤魔化せますからね。


舞踊ショーの流れを切らないことは絶対だと思います。いわば、DJプレイみたいなものですよ。曲と曲とのつなぎってコンサートでも大事じゃないですか。昔の役者は舞踊ショーを渋々やってるひともちらほらいたから、そんなのどうでもいいかも知れないけども。


金井保夫とか舞踊ショーやる気なかったですからね。芝居はたまにスイッチ入ると熱演してました。昔の東京の大衆演劇って大体そんな感じでした。なので、舞踊ショーは退屈でしたね。そもそも、役者がやる気ゼロでしたから。


さらにいうと、東京の大衆演劇って芝居もむらがあったんですよ。金井保夫の盟友で名優と言われていた深水志津夫もスイッチが入れば快演してましたが、やる気ないときはお玉の亭主とか適当にやってたそうですし。うちの祖母が母にこぼしてたそうです。「また、お玉の亭主だよ」とか。


稽古しなくても適当にできたからだと思います。「稽古不足も幕は待たない」って梅沢富美男も歌ってますからね。冷蔵庫に残ってる材料で料理作るような感覚です。


まあ、それでも面白かったらいいんですけど、見城たかしが木馬館に乗った際、超絶くだらない芝居をやったことがあったんです。下ネタ連発でノリと勢いだけの芝居だったそうです。いま、そんな芝居やったら木馬館出禁になりますよ。昔はそれでも許されたみたいです。


そもそも大衆演劇ってそんなきちんとしたものではないですから。ドサ回りと呼ばれるように、例えるならば屋台メシみたいなものです。今はキッチンカーとか言って、それなりに小洒落たものを出しがちですけど、昔は社会全体を見渡してもそんなきちんとしてなかったですからね。


ひざこぞう擦り剥いたら赤チン塗って終わりでしたし。日焼け止めとか日傘なんて庶民はそこまで気を遣ってなかったでしょうし。夏は玄関につっかけ挟んで、風通し良くしてたくらいですから。スイカに塩かけたり、グレープフルーツに砂糖かけたり、カレーライスにソースかけたり、スプーンは氷水が入ったコップに入れたり、ソーメンには缶みかんが入ってたり。


昭和の庶民あるあるって今みたらかなりガラパコスですよね。


今はそれなりに丁寧なサービスを提供しないとネットで叩かれたりしがちじゃないですか。大衆演劇だからといってあまりいい加減なことはできないと思います。


東京の大衆演劇が適当だったようなことを言いましたが、たぶん、大阪とかも似たようなものだったと思います。スイッチ入ると熱演するけど、やる気ないときは適当になりがちなのは大衆演劇の性なのかも知れません。手抜きしないと毎日日替わりで公演なんて無理じゃないですか。


まあ、里見要次郎とか姫京之助を観た時は子供心に圧倒されましたけど。


東京の劇団に比べると舞台にかける熱量だとかが全然違いました。人気あるのも頷けます。まあ、なにが良かったのかはよく覚えてないんですけどね。


大衆演劇は上書き保存、数年前の舞台とかふわっとしか覚えてませんからね。


それでも、良かったという感覚はずっと残るんです。逆に悪かったという感覚も残りますね。何が良かったのか、悪かったのかはきちんと文章にして残しておかないといけませんね。文章化しておけば、あとで見返すことができるじゃないですか。


大衆演劇の名場面とか文章として残してくれてるブロガーには頭が下がります。


大衆演劇のメモ少年とか現れないかなと思います。大衆演劇マニアの小学生が毎日のように最前列に座って、黙々とメモを取ってるんです。拍手もせず、役者に目を合わせることもせずに。そんな少年が現れたら、騒然となりますよね。あの少年、なんなんだ、みたいな。


ロバート秋山のメモ少年はテレビ局のディレクターになってますからね。ひとりくらい、そんな狂気めいたマニアが大衆演劇ファンにも現れて欲しかったりしますけど。キャーキャー言ってるだけじゃなくて。


どなたか、大衆演劇のメモ少年になりませんか?


東京の大衆演劇で圧倒されたのは劇団荒城ですね。舞台にかける熱量がレベチです。


この劇団は幕間でも芝居をするんです。芝居の流れを切らさないんですね。幕間でも芝居を続けるアイデアは劇団美山や劇団九州男もパクってました。いいところはどんどんパクればいいと思います。


東京の劇団は幕間で間延びしがちなんです。ただでさえ大衆演劇は長くて中弛みしがちなのに、芝居の流れを切ったら最悪ですからね。


芝居も舞踊ショーも盛り上がっている流れを切るな。これは鉄則だと思います。まあ、間をつなげるのも簡単ではないですけどね。間抜けにならないように。


劇団荒城には一目置いてますね。代替わりしてどうなっているのか気になりますけど。照師が抜けてから劇団荒城の凄みが少しなくなったような気がしますし。そんな声をちらほら聞いたり。


芝居の流れならば劇団荒城

舞踊ショーの流れならば大川良太郎


あと、舞踊ショーの群舞を含めた華やかさでは橘劇団でしょうか。劇団美山も熱量では負けてませんね。


若丸も群舞には定評ありますね。座員もそれなりに踊れる役者がいましたし。最近は知らんけど。


あとは恋川純とか宝海大空とか、座長の個人舞踊には定評ありますね。


他はどうでしょうか?まあ、一度や二度観たくらいでは分からないですからね。何度か観ないとわからないこともありますし。


大衆演劇が西高東低になる契機は浅草木馬館の開館だと思います。


それまで大衆演劇は下町の芸能だったんですよ。町中華みたいにその地域の常連客相手にしていたので、代わり映えしなくても良かったんです。いつものやつでお客さんは喜んでいたんだと思います。


うちの祖母の姉は地元の洋食屋でカツサンドを作ってもらって篠原演芸場にいくのが日課だったそうです。馴染みの店や銭湯に行く感覚てわ大衆演劇を観ていたんですね。役者が無愛想だろうと別に構わなかったんですよ。いきつけの飲み屋のマスターが無愛想だろうと気にならないですよね。そういうものだと思って付き合ってますから。


それが、浅草木馬館になると下町の普段着感覚では大衆演劇ができなくなったと思います。


浅草は繁華街ですから。非日常感のあるハレの場じゃないですか。サザエさん一家がデパートに行くような感覚ですよ。かつてデパートはハレの場だったんです。日常の延長にあるイオンモールとは違うんです。


東京の大衆演劇の役者は戸惑ったと思います。北千住だとか下町でやってたのとはなんか違う。今でも川崎大島劇場と同じ感覚で舞台に立つことはできないと思います。


そこに関西から鳴り物入りで人気劇団がドカドカやってきたんです。関西では目立ってナンボ、爪痕を残そうと熱量高めの舞台をこれでもかと言わんばかり見せつけたんだと思います。


その結果、東京の大衆演劇はセンターポジションから押し出されたんですね。


押し出された東京の劇団を快く受け入れてくれたのが健康ランドだったんです。劇場のセンターから健康センターへとシフトしていったんです。


小岩湯宴ランドができると、そこが東京の大衆演劇のメインになりました。


健康ランドならば、芝居も舞踊ショーもそこまで工夫しなくてもブーイングだとかないと思います。お客さんも館内着でビール飲みながら観劇してますから。ともすれば、いびきかいて寝てますからね。


小岩湯宴ランドは正規料金で入館している人も皆無だったと思います。割引券をばら撒いていたので、1200円ほどで入れたんです。昼夜の大衆演劇と風呂まで付いて。なので、連日連夜大入でした。ファンサなんてしなくてもいいですし。健康ランドならばビンゴ大会とかあるし。何も工夫しなくても集客できたんです。役者にとってもパラダイスだったと思います。


それが東京と関西の格差をさらに拡げることになりました。


関西の人気劇団は木馬館だとか新開地劇場などでそれなりに集客しないと勝ち残れないわけですから、必死になるわけです。一方で東京には小岩がありますから。一年のローテは小岩を中心に回っていたと思います。


そんなパラダイスは突然終焉、小岩湯宴ランドの閉館。気がついたら関東周辺の健康ランドが次々と閉館していきました。


それとは対照的に大阪では次々と劇場がオープンしました。大衆演劇の西高東低はいよいよ確実なものになりました。


東京の大衆演劇は後継者不足などにより、縮小の一途をたどりました。木馬館も篠原演芸場も関西の人気劇団頼りになってます。


そして、コロナ禍。いよいよヤバいぞということになって立ち上げたのが新風公演ですね。アレは東京大衆演劇復興プロジェクトだと思います。日本文化とは言ってるけど、東京の大衆演劇の灯を消さないための公演ですね。


まあ、それでも関西の劇団に頼ってますけど。劇団鯱とか、美山とか。


東京の大衆演劇は栃木の暁と川口のシン松こと美松あたりにかかってそうですね。


理想は東京の大衆演劇だけで木馬館公演が回るようになることですけどね。関西の人気劇団は三吉と歌舞伎町で回すというのが目標のような気がします。知らんけど。


そのためには東京の人気劇団を10は欲しいところですね。大阪でも大入が取れる劇団を10くらいほしいところです。新開地や朝日劇場などを満員にできる劇団とか果たして可能なんでしょうか?


とりあえず、尼崎での挑戦みたいですね。今のところは。尼崎ってこっちでいえば、川崎みたいなところじゃないですか。知らんけど。