大衆演劇の命運を握っているのはお客さん。 | 大衆演劇西高東低ブログ☆川崎大島劇場真夏の夜の夢★

大衆演劇の命運を握っているのはお客さん。

大衆演劇は観客との距離の近さが魅力です。それ以上のそれ以下でもないんです。


別に顔が特別良くなくても、ブクブクデブデブ腹立つくらい肥え太ろうとも、歌がそこまで上手くなくても、踊りはただタバコを吸ってるだけでぶらぶらしてるだけでも、ただ御祝儀集めのために観客席を回るだけでも、芝居のせりふは棒読みでも、たまに噛んだり、セリフも忘れようとも、別にいいんです。


だって、大衆演劇だもの。みつを。


大衆演劇の本質は距離の近さですから。観客を巻き込む一体感こそ魅力ですからね。観客と近ければ近いほどいいんですよ。


なので、配信なんてダメです。距離が遠過ぎます。大衆演劇を配信だとか映像で見ても全く意味がございません。目の前でやってナンボですからね。肥満だろうと、怠慢だろうと、客の目の前でやることに意味があるんです。


客入りが悪い劇団は観客との距離が遠いんですよ。客席と舞台との距離が乖離してます。客と役者の間に壁があるんです。だから、ダメなんです。


人気劇団は例外なく、観客との距離が近いです。そして、壁を取っ払います。壁なんて作ってはダメです。映画やテレビの世界のスターじゃないんですから。大衆演劇なんですから。観客と役者の間に壁なんて作ってどうするの?


観客と役者との距離が近ければ集客できます。壁を作れば観客はすぐに離れます。そして、集客は苦戦します。自業自得です。


腹では何を思っても構いません。上辺だろうといいんです。嘘でもいいから愛想振りまいて、客に媚び売ってください。観客のそばにいてください。大衆演劇は観客との距離の近さが全てですから。それ以上のそれ以下でもないんですよ。


まあ、あまり距離が近過ぎても問題あるかも知れませんけど、とりあえず、集客を考えたら壁を作るべきではないと思います。


それを理解してない役者はとっとと大衆演劇から足を洗った方がいいと思います。


劇団ビホーが大阪で集客に大苦戦している理由は観客との壁があるからです。


友也座長は雰囲気イケメンで、見映えはいいんですよ。声もいいですし、着付けもいい。芝居もそつなく完璧ですし、踊りも上品かつ静かに踊ります。役者の鏡みたいな座長で、長谷川武弥も太鼓判を押すくらい完全無欠の座長だと思います。


でも、観客との間にフェンスがあるんです。人見知りなので、客と距離を置くんです。


口上挨拶も気の利いたことなんて一切言えない副座長の一城悟に丸投げしがちです。口上挨拶は事務的、観客とは距離を置く、送り出しでも無表情で無愛想、観客との距離を縮めようなんて毛頭思ってません。終わったらとっとと帰れくらい思ってそうです。実に誠実かつ正直すぎる役者なんですね。愛想笑いなんて一切しません。


剣戟はる駒座の津川らいてふのツンデレぶりは有名ですけど、友也座長はらいてふ以上にツンツンしてます。まるでハリネズミですね。ツンツンしすぎですよ。


らいてふはツンデレでも、弟のしぶしぶが愛想いいのでなんとかフォローできてます。劇団ビホーにはしぶしぶみたいに座長をフォローできるような有能な役者がいないんです。副座長も花形も愛想ないですし、花形なんて態度最悪ですからね。花形なのにアゴがしゃくれてますし。


せめて、劇団美山の花太郎くらい喋れたらいいんですけどね。花太郎もアゴがしゃくれてますけど。


友也座長は都若丸や恋川純とは正反対ですね。すこぶる愛想が悪い。だから、人気ないんですよ。それでは大阪では絶望的です。


うちの母はそんな友也座長のことを絶賛してます。天邪鬼ですからね。愛想がないのは承知で、それをわかっている上で応援してます。友也のこと悪く言うとめっちゃ怒られます。友也のこと、岡惚れしてますね。


昔は金井保夫、その後は里見要次郎、小泉たつみに橘大五郎、そして劇団美山と、割と大衆演劇の王道ばかり観てきているひとなんですけどね。


まあ、金井保夫は置いといて。あの人も変わり者ですからね。女作ってドロンしたこともありますし。座長なのにドロンしたんです。鶴見で飲み屋をやってたこともあります。なぜかうちに開店祝いでもらった灰皿がありました。


それでも、その後、座長に返り咲いたんですから、まあ、ある意味、レジェンドですね。


ちなみに金井保夫の娘である金井つばめとエンオーは付き合ってました。もしかして、エンオーの娘は金井つばめの子どもかも知れません。そうなると、金井保夫はおじいちゃんになりますね。


まあ、大衆演劇の婚姻関係ほど謎が多いものはないですから。兄弟でも腹違いとかザラですからね。大衆演劇ですから。


まあ、金井保夫のことはどうでもいいです。元気なんでしょうか?最後に見かけたのは川越ゆうゆうランドでした。相変わらず、うちの母と話してましたね。昔、いろいろあったみたいです。詳しくは知りません。


大衆演劇の酸いも甘いも知ってるうちの母はシホー友也のことはべた褒めなんです。うちの母に言わせると、愛想がいいとか悪いなんてどうでもいいらしいです。


うちの母は送り出しの際も裏口からコソコソ逃げるように帰ってますからね。大衆演劇なんて送り出しが全てだと思うんですけど、うちの母はそうではないみたいです。大衆演劇のどこを観てるのか、謎です。


友也座長を木馬館で観た時、「命の水」という芝居を見てゾッコンになったそうです。舞台の上で水を被って迫真の芝居をしたそうです。それでスゴいと思ったそうですね。役者冥利に尽きると思います。


芝居が終わった後の口上挨拶でずぶ濡れになった友也座長のところに当時はまだ小学生だった息子の花道がお茶を持ってきて、「次はおまえがやるんだぞ」と言ったそうです。


果たして花道は「命の水」を木馬館で演じることがあるんでしょうか?果たしてうちの母は生きていられるんでしょうか?うちの母が元気なうちにぜひ実現してほしいです。


観客に決して媚びず、観客との距離を縮めようと努力もしない不器用な座長ですけどね。


大衆演劇にとって芝居や舞踊ショーなんてオマケみたいなものですから。都若丸も断言してます。トークがメインだと笑。


恋川純も意外と芝居は雑ですからね。芝居は雑ですけど、舞踊とトークはがっつりやるから人気あるんです。


劇団美山は芝居も舞踊もとことんやりますけど、お客さんとの距離感は大事にしてますから。里美たかしの送り出しとかスゴいですよ。混雑を避けて素通りするお客さんにまでちゃんと挨拶してますから。お客さんひとりひとりをがっつり見てます。あそこまでできるのは都若丸か里美たかしくらいです。そりゃ、人気でるはずですよ。


友也座長が大阪で集客できないのは自明の理です。不器用なんですよ。


鈴丸座長の方がお客さん目線で接客できそうですからね。関西公演も全く心配してません。川崎大島劇場でお客さんが少なくても、お客さん一人一人の目を見て踊ってるそうですから。


今の時代、そういうパフォーマンスが求められているんだと思います。かつてとは違うんです。かつてほどお客さんが入らないのならばなおさら、お客さんひとりひとりに気遣いしないといけないと思います。


シホー花道もお父さんを反面教師にして、お父さんとは違う座長像を作るべきです。人見知りだと失敗すると思います。ホントは関西の劇団で修行させた方がいいと思いますけどね。長谷川劇団で二年くらい回ってから劇団に戻った方がいいかも知れません。


花道は舞踊に関しては副座長仕込みなんですよね。お父さんではなく、副座長の踊りを真似てます。いろいろと思うところがあるのでしょう。


友也座長の誕生日公演、どうなるんでしょうか?ガラガラだったらさすがに凹みますよね。かつて、ビホーにいた扇さとしが地方で誕生日公演をやったら誰も来てくれなかったと愚痴をこぼしてました。遠征ファン頼みだとキツイですよ。


三吉でも関西の劇団は苦戦してますから。らいてふの誕生日公演に夜の部行ったんですけど、ガラガラでしたからね。その時、座員が心なしか不貞腐れてました。名前は忘れたけど、女優がブスッとしてましたね。ブスではないです。ブスッとしていたんです。まあ、そうなりますよね。お客さん来なければ。


アキ京一郎みたいにぶっ壊れなければいいんですけど。あまりに集客できなくて、ぷっつんしてましたから。柏みのりの湯で観た時、びっくりしました。芝居をぶっ壊す座長なんているんだと思いましたね。まあ、やってられねえと思っていたんでしょう。決して悪い役者ではなかったんですけどね。


役者を生かすも殺すも客次第ですから。役者殺すに刃物は要らぬ、あくびひとつで役者は死ぬと言いますからね。役者の命運はお客さんが握っていると言っても過言ではございません。