振り向かず、懐古もせず〜やめた役者はスンスンだい。 | 大衆演劇西高東低ブログ☆川崎大島劇場真夏の夜の夢★

振り向かず、懐古もせず〜やめた役者はスンスンだい。

テレビや映画の世界で仮初にせよブレイクしたタレント、俳優、歌手、芸人ならば、あの人は今みたいなテイで懐古することもあるじゃないですか、たまには。


あたりまえ体操とか誰が踊っていたっけ?みたいな。


でも、大衆演劇にソレはないですよね。大衆演劇は舞台に立っているうちが花であって、やめたらさよなら。上書きされて、ともすれば存在そのものが否定される。否定というか、そんなひといたっけみたいな世界、蜻蛉みたいに儚い世界だったりします。


大衆演劇は自転車操業ですから。毎日の公演に追われて振返る時間なんてそもそもないんですよ。せいぜい、周年公演だとかでさらりと触れる程度ですかね。その日の公演が終われば次の日、今月が終われば来月と、前へ前へと漕ぎ出すしかないんです。切ないですね。大衆演劇とは切ないんです。


センターが閉館になろうとも劇場が解体されようとも誰も気にも留めません。写真だとか映像などで残すべきだと思いますけど、アーカイブ残そうなんていう物好きいないみたいですからね。なので、好事家が道楽でやるしかないんです。


大衆演劇のアーカイブ残しませんか?スクラップになる前に。


やめた役者のことなんて皆さんスンですからね。まるで、切られ役ですよ。舞台袖から出てきて、切られて捌けるだけ。風の前の塵に同じですね。


オーショーオーショー五月蝿いというけれども、仮にも花形やってた役者ですからね。


その友人の若座長がドロンと聞いたら、そりゃ気になりますよね。まあ、若座長のこと全く知らないといったけども、ちらほら噂は聞いているのでね。流石にそれは言いませんけど。


ヘルニアでしたらお大事にというだけの話なんですけどね。別にわざわざ事を荒げる必要もないですし。


オーショーという役者がいたということくらいは少しくらい留めてあげてもいいとは思います。どうでもいい役者だったけど。


幸せを祈ってやれというのがいかにも大衆演劇っぽいですね。達者に暮らせよ、的なやつ。


そもそも、そんな大団円でしたっけ?


それも、幸せを祈るという名のスンですよね。