大衆演劇四方山話〜今月はどうすると。 | 大衆演劇西高東低ブログ☆川崎大島劇場真夏の夜の夢★

大衆演劇四方山話〜今月はどうすると。

若山きらとが役者を辞めた背景には、当時所属していたワタナベエンターテイメントの営業部長か誰かにジャニー喜多川ばりのセクハラをされたという話もまことしやかにあるみたいです。


だとしたら、なかなか闇が深いですね。


その延長線上に半グレとのつながりがあって、今回の事件があるとしたら。


そういえば、元ジャニーズの中にはいろいろ事件を起こしているひともいますからね。田中聖とか。本人が犯したことは本人の責任ですけど、本人が置かれた環境だとか社会というのも決して無関係ではなかったと思うんです。


まあ、オーショーも大衆演劇という世界にいて、いろいろあったと思うんですよね。決して綺麗な世界ではないですから。ファンはあくまでも舞台しか観てないわけで、裏側なんて知るよしもないですからね。


知らぬが仏というやつです。


ところで、劇団心の若座長は本当にヘルニアなんですか?オーショーや長谷川一馬とも仲良しみたいですけど。


まあ、長谷川一馬はこれから売り出したい役者のひとりなので、あまりオーショーとかと絡ませたくないというのがありそうですね。


もしかしたら、興行主の意向も働いてそうです。興行主の言うことは絶対みたいですから。


オーショーに関しては多分、まあ、そうでしょうね。なので、エンオーちゃんはこれ以上はもう何も言えないと思います。スンとしてるしかなさそうです。シンヤ座長もスンとしてるしかないでしょうね。スン。なかんずく、スン。


大衆演劇は戦後の混乱期に大量発生した世界なんです。戦前からのドサ周りの役者もいたみたいですが、物資不足の時代に自然発生的に生まれた闇市みたいにエンターテイメントに飢えていた時代に雨後の筍のようにニョキニョキっと都内各地に芝居小屋ができたとか。


最盛期には50を越える芝居小屋があったんです。大井町に旗の台に蒲田に羽田とか、それくらいの距離感にあったそうです。西成どころの騒ぎじゃないです。


それらは昭和40年代には大半は淘汰されたそうです。その中でも生き残ったのは東京では篠原くらいだったとか。


浅草木馬館は木馬館のオーナーから篠原が間借りするカタチではじまったみたいですね。建屋自体は昭和30年代のものなので、かなり古いみたいです。篠原演芸場は建て直してますからね。昔は花道も桟敷もなくて、川崎大島劇場みたいにフラットな畳敷だったんです。空き缶が置いてあって、その場でタバコを吸えたんですよ。おにぎりはなかったと思います。


大衆演劇はなんか、侘しかったですね。幼稚園の頃、おばあちゃんに連れられて建て替え前の篠原演芸場に行ったことあるんですけど、侘しい雰囲気でした。知り合いのおばちゃんも一緒で、おばちゃんからとんがりコーン貰いました。ぶどうぱんはくれなかったのを覚えてます。芝居は全く覚えてないけど、そんなことは覚えてます。


そして、芝居の最中に置いてあった空き缶を舞台目掛けて投げたのも覚えてます。したら、最前列にいた女の子の頭に命中しました。帰りに女の子の母親にめっちゃ睨まれたことは覚えてますね。


里見要次郎ブームはもっと先の話です。当時の里見要次郎人気は半端なくて、木馬館の後ろの階段も開放して立ち見させていたそうです。もちろん、正規の料金は取ってたそうです。あの階段から立ち見ですからね。消防法などクソ喰らえですよ。あんなところから見せるとか。


そもそも、なんでわざわざ関西から役者がやって来るのかが子ども心に謎でしたね。里見要次郎のビデオまで観させられて、新開地劇場だとか広島の清水劇場で収録した舞台だったけど、新開地劇場とかせりあがりまであって、木馬館なんかよりも全然凄いんですよ。


もしかして、大衆演劇の本場って浅草木馬館ではなくて大阪じゃね?と映像をみて、そう思いました。


確かに、浅草木馬館や篠原演芸場で観る芝居もいいんだけども、新開地劇場の方が大きく見えたんです。里見要次郎とか姫京之助とか大阪方面から来ていたし、大衆演劇は西方浄土、ゴーウエストだったんじゃないかと思ってました。


大阪のおばちゃんファンにタジタジにされてる里見要次郎の映像とか観ていたんです。


東京の場合、里見要次郎とか乗ると混雑してたけど、東京の劇団だとガラガラだったんです。


金井保夫とか演美座とか桑田劇団とか見城たかしとか劇団ママとか、いろいろあったと思いますけど。おばあちゃんは深水のファンだったみたいですね。しーちゃん、しーちゃん呼んでました。


座長大会にも何度か連れて行かれて、林友廣の座長襲名とか、若葉愛の座長襲名だとか。その時はめちゃめちゃ混んでましたね。


大衆演劇セカンドインパクトの頃ですね。今よりもお客さんが多かった時代です。


今はその頃に比べたら抜け殻みたいなものかも知れません。木馬館の階段の扉から立ち見とか流石にないですし。コロナ禍前に補助椅子がたくさん出ていたりはしてましたけど。今は補助椅子も滅多に出ないですから。劇団美山くらいじゃないですか?


バブルが弾けて浅草が混沌としていた頃、浅草六区には潰れた映画館がズラッと並んでいたんです。その頃、フランス座の女性オーナーが映画館を改装してオープンしたのが大勝館だったんです。


西成のパチンコ屋を改装して劇場にしたような感じですね。


その頃、大勝館に乗っていたのが橘菊太郎だったり、早乙女太一だったり、スーパー兄弟だとか劇団美山なんです。


フランス座といえばビートたけしが下積み時代に前座として漫才をしていたことでも有名ですよね。萩本欽一とか渥美清も舞台に立っていたことがあるそうです。


その縁で北野武名義で映画「座頭市」を撮ることになった際に、大勝館のママの紹介で早乙女太一と橘大五郎が出演することになったんですね。


大勝館はほんの8年ほど営業しただけでしたけど、早乙女太一や大五郎にとっては貴重な経験になったと思います。のちに大五郎やスーパー兄弟、劇団美山は木馬館の常連になりますから。


8年足らずでも大衆演劇に爪痕を残した大勝館のように、木川劇場も少しくらいは大衆演劇に爪痕を残せたんでしょうか?


ほんの一瞬の煌めきでしたけどね。そういえば、煌座もほんの一瞬の公演でしたね。旗揚げして10年持たなかったような。一応、座長は里見要次郎の弟子らしいですけどね。一度くらいは川崎大島劇場の舞台に立ったことがあるみたいですよ。あの、里見要次郎が。


再び里見要次郎が川崎大島劇場に来ることはもうないかも知れませんね。


大阪と東京、どっちの大衆演劇がいいのか。


活気があるのは大阪、統制が取れているのは東京だとは思います。


大衆演劇は混沌としているくらいがちょうどいいような気がしますけど。ドロンとかそういうのがあった方が盛り上がりますから。ファンは目の前の舞台よりも役者や劇団のゴシップの方が楽しみなんですよ。


川崎大島劇場、今月は何度か行くかも知れません。まあ、木馬館も多分行くとは思います。鈴丸は多分行かないでしょうね。三吉は分かりません。気にはなってますけど。


新宿は微妙ですね。なおとが出てるのはいいけど、インパクトにかけますね。若座長が現れて暴露系役者としてオーショーなどの話を赤裸々に話してくれたりしたらいいんですけどね。


ガーシーみたいに3分立たずに強制退場させられそうです。なので、スンでしょうね。


追伸

なんか、急に若座長出るらしいですけど。火消しでしょうか。喧嘩纏ですね。


やっぱり、いろいろあるみたいです。だから、香ばしい、大衆演劇。スン劇ですよ。スン。