昭和の日に昭和の灯が消えた〜ショーは終わり@木川劇場 | 大衆演劇西高東低ブログ☆川崎大島劇場真夏の夜の夢★

昭和の日に昭和の灯が消えた〜ショーは終わり@木川劇場

梅田から阪急電車に乗ってすぐ、そこ十三。


ネーヤンは十三で身売りに出されたというのは昭和恐慌の頃の話。


ほんの80年ほど前、日本は貧しい国だった。


朝ドラ「虎に翼」の頃の日本ですよね。


大衆演劇は戦前からあったらしいけど、絶頂期は昭和二十年代らしいです。


昭和三十年代に入り、戦後復興が始まると、大衆演劇は下火になっていったそうです。やがて、高度経済成長期になるとテレビが登場して、完全にオワコン化。大衆演劇は衰退の一途を辿りました。


昭和五十三年、北千住寿劇場が潰れることになり、いよいよヤバい状況に。そこで立ち上がったのが篠原、浅草に大衆演劇の劇場を開業。梅沢富美男が女形で人気を博し、「夢芝居」は大ヒットしました。


首の皮一枚で繋がった、大衆演劇。


プロジェクトX♪


その後、里見要次郎や姫京之助など、関西出身の人気役者によって大衆演劇も知る人ぞ知る娯楽として定着しつつあった。


ここからは、大衆演劇、たぶん、こうだったんじゃね、劇場になります。憶測ですね。


東京は篠原一強となり、篠原は目先の興行成績欲しさに関西の人気劇団に依存、気が付いたら東京の大衆演劇は関西一色に。


だって、東京の役者じゃ、木馬館大入にできないんだもん。


東京の劇団は小岩など、センター中心になり、劇場からは遠ざかっていった。


そんな状況を打破しようと、浅草には非篠原系である大勝館がオープン、篠原系とバチバチになった。橘劇団、劇団美山などは大勝館で興行を行い、篠原系の劇場には乗れなかった。


やがて大勝館が閉館、一部の関西方面の役者は造反し、関西方面に劇場がポツポツと開業した。


梅田呉服座、京橋らいぶ座など、大きな劇場から小さな劇場まで増えていった。大阪は大衆演劇の街になっていった。


十三にある木川劇場もそのひとつ。ストリップ劇場十三ミュージックの居抜きで開業した。


篠原は旧大勝館で人気を博した橘劇団や劇団美山に接触、次第に篠原のドル箱興行になっていったのだった。


里見要次郎らはなぜ篠原に乗らなくなったんでしょうか?


ノルマがキツいから?コスパ悪いから?世代交代に失敗したから?


なんでなんでしょうか?


木川劇場は小さくてボロいながらもコアなファンと名物女将に支えられながら、なんとか持ち堪えていた。


それなのに、終わりは突然やってきた。


劇場を買いたいなんて奇特な人も現れなかった。


今年も木川に行くって

いっぱい芝居を観るって

約束したじゃない

あなた、約束したじゃない

かいたい…


そして、遂に解体。昭和の日前後になって、木川劇場は跡形もなくなってしまった。


泡沫(うたかた)の

真夏の夜の夢

夢芝居


木川劇場、終焉でございます。


緞帳下ろしもなく、密やかに終焉。


一度でいいから、観劇したかった。


関東でもセンターがひとつ、ふたつ消えてます。


一寸先は闇の大衆演劇。


再び、輝きを取り戻す日は来るのか。


すべてはスターの誕生次第。テレビでも取り上げられるほどのスターが現れれば、とりあえず10年は持つと思います。


まあ、遅かれ早かれ、テレビにシフトすると思うけどね。


テレビには行かない程度のスター役者がいいかも知れません。ほどほどのスターがいいですね。


かつての里見要次郎みたいな役者がひとりでもふたりでも現れないと、大衆演劇に未来がないかも知れませんね。


それか、SMAP作戦。


劇団美山みたいに劇団として人気が出れば、盛り上がりますよね。SMAP、嵐みたいに。


劇団美山みたいな劇団が増えてくれれば安泰なんですけどね。今のところ、劇団美山のような劇団が他には居ないというのが現実ですから。まあ、肉薄する劇団はいるんですけどね。片手で数えられる程ですけど。


関東にはいません。なので、当面は西高東低が続きます。美松とか暁とか一見劇団あたりになんとか頑張ってもらうしかないですね。