プロモーションとしての大衆演劇映画。 | 大衆演劇西高東低ブログ☆川崎大島劇場真夏の夜の夢★

プロモーションとしての大衆演劇映画。

瞼の転校生はプロモーションとアーカイブとストーリーとコンセプトを詰め込みすぎたような感じがした。


そのぶん、それぞれが中途半端になってしまったような気がした。


ドキュメンタリー映画として作るならばとことんドキュメンタリーとして篠原演芸場や劇団に密着しても作品としていいなと思った。但し、ドキュメンタリーにするとかなりコアかつニッチなものになってしまう。むしろ、テレビで放送した方がいいかも知れない。そういえば、長谷川劇団に密着したドキュメンタリーが昔あったような気がする。


アーカイブにするならばもっと長い期間、定点観測する必要があると思う。最低でも一年スパンで観ていかないと記録映画としては薄っぺらくなってしまう。劇団に密着するのか、劇場に密着するのかでも作品が変わってしまう。


ストーリーにするならばとことん作り込まないといけないし、大衆演劇の役者を出すにしても公演をやりながらになるのでスケジュールの制約が大きくなる。時間も予算もかければそれなりの作品はできるだろうけど、そもそもそこまで需要があるのか。クドカンとか三谷幸喜あたりに作らせれば面白い作品はできるだろうけど、大衆演劇をある程度ディフォルメされた作品になるだろうし、それは本意ではないかも知れない。


大衆演劇のプロモーション映画としてストーリーを乗せたような作品なので、願望とファンタジーの要素が大きくなって、リアリズムという観点からすると弱いなと思った。思春期の葛藤だとか、親子の軋轢だとか社会との狭間だとか、あんなにさらりとならない。大衆演劇の芝居の場合はどちらかと言えばご都合主義的な展開になりがちなので、まあ、仕方ないけど。


本来ならば2時間以上かけてそれなりに重厚なストーリーにするべきなんだろうけど、そうなると大衆演劇ファンには重いだろうし、プロモーションとしてもそのコンセプトからは外れると考えたのかも知れない。80分という通常の大衆演劇の芝居よりも少し長め程度の時間で描こうとしたら、アレが限界なのだろう。


主人公はオーディションで選んだのだろうか。大衆演劇なんて右も左も分からないだろう世界観を短期間で理解して、ほぼ化粧だけだったけど女形までやったのはなかなか凄いと思った。そもそも、女形をきちんとできる子役は大衆演劇の世界でも稀有である。大人になってもひと握りの役者しかできてないし。何年かけても身につかないのが女形だからね。橘オーショーは最後まで女形は身に付かなかった。


多分、女形がそれなりに映えそうな子役を選んだと思う。立ち役ならば馬子にも衣装で、それなりになんとかなってしまう。女形はただ化粧しただけでは難しい。とりあえず、女形が映えることが第一条件だったと思う。


瞼の転校生は結局一ヶ月持たなかった。3週間程度の上映で終わってしまった。お膝元である川口でこの状況だ。勿体ないなと思った。いっそのこと、篠原演芸場とか浅草木馬館あたりで上映会をやってもいいと思った。さらに、役者を交えてトークショーなんかもあるといいなと。それは初日に舞台挨拶をやったのかな?パンフレットは売っていたのだろうか?


大衆演劇のファンタジーといった感じ。実際にはドロンだとかいろいろあるからね。いいところだけざっくり切り取ったらあんな感じかも知れない。大衆演劇の魅力を伝えきることができたかといえば歯痒い部分も多々あったけど、プロモーションとしては悪くないと思った。


ストーリーが若干薄味だったのは、やはりあくまでも大衆演劇のプロモーションが主題だったからだと思う。ストーリー展開に期待していたので、映画として観たら少し弱いなと思った。


アーカイブ的な作品にするのであれば、昭和30年代ごろのコテコテの大衆演劇を描いた作品というのもいいかも知れない。


大衆演劇の芝居のワンシーンを映画の中にねじ込めたのは良かった。そのままアーカイブになるからね。もう少し長く見たかったけど、映画全体のバランスを考えたらあんなもんだったのかも。


もしストーリー重視で大衆演劇を絡めた映画を作ったらどうなるのかな、とは思った。そうなると、大衆演劇がおまけになってしまうけどね。大衆演劇がメインの映画にするならば、やはり古き良き時代の昭和の大衆演劇を描く方がいいだろうし。或いはドタバタのコメディーチックにするか。


プロモーション映画の第二弾はあるのだろうか?