大衆演劇も惰性からの脱却が必要かも知れません。 | 大衆演劇西高東低ブログ☆川崎大島劇場真夏の夜の夢★

大衆演劇も惰性からの脱却が必要かも知れません。

歌舞伎町劇場、平日夜の部は舞踊ショー三本立てにして、一幕だと1500円、通しだと2500円にするというテコ入れをしました。


ところが、やはり芝居を観たいというお客さんの声が多くて、らいらいもしぶしぶも芝居復活することにしたとか。三本立てのうち一番最後を芝居にして、一幕1500円はそのままにしたとか。


8時から9時までの1時間は芝居なので、木馬館で芝居だけ観て、電車で移動して新宿で芝居を観るというハシゴ観劇も可能になりました。


木馬館で2000円、歌舞伎町で1500円、合わせて3500円ですね。それで平日の夜は二本芝居は観られる。舞踊ショーは観られないけど。


平日の夜限定ですけどね。


でも、かつては木馬館の木戸銭が1500円だったんです。3時間半1500円ですからね。それに比べると、芝居だけ一幕1500円というのは安いように見えて高いような気がします。


2000円でお釣りが来るのが大衆演劇でしたからね。柏みのりの湯なんてネットクーポンを使えば千円で風呂入れて、昼夜二本観れましたから。最後の半年は観劇料800円取るようになりましたけど。小岩の湯宴ランドも割引券を使えば1200円くらいで昼夜観れました。


小岩は混んでましたけど、儲かっていたのかといえば微妙ですね。結局、潰れましたから。正規の値段で入館していたひとは皆無だったと思います。


大衆演劇とは千円娯楽だったんです。映画がかつては月に一度千円で観られたじゃないですか。今は1300円に値上げして、千円で観られれるのは年に一度になりましたけど。レイトショーも今は1300円くらいしますよね。


映画は90分から2時間ちょいで前売り券などを使えば2000円でお釣りが来ます。大衆演劇も映画が念頭にあったと思うのですが、物価高、燃料費高騰、消費増税、コロナ禍、観客減など様々な要因が重なって、長い間据え置きだった木戸銭が2000円くらいまで上がりました。


それでも2000円という考えもできますけど、やはり千円ちょいで観られるのが大衆演劇という感覚がカラダに染み付いていて、2000円となるとどうしても違和感を覚えるわけです。


三吉演芸場は2000円越えでかつては日本一高い劇場として有名で、都若丸も事あるごとに弄っていたんですけど、気がついたら三吉演芸場の値段がほぼスタンダードになりました。歌舞伎町劇場は2500円ですから、日本一の座を三吉演芸場から奪還したカタチになります。


そして、篠原系の劇場まで2000円になりました。三吉演芸場は前売り券を使えば2000円なので、篠原と三吉はついに肩を並べることになりました。


浅草木馬館と篠原演芸場では新風公演という特別公演を始めて、ついに特別料金を導入しました。平たくいえば、大衆演劇のプレミアム化です。


大衆演劇は大衆料金でやるから大衆演劇であって、プレミアム化したらもはや大衆演劇ではないと思います。名前を変えた方がいいですね。


元々大衆演劇っていうのは出所もイマイチよくわからないところから始まってますよね。戦前からあるとも言われてますけど、浅草の軽演劇や喜劇とも違いますし。戦後の混乱のどさくさに紛れて生まれた闇市みたいな感じだと思います。どさ回りとか言いますよね。旅役者とはノマドなんですよ。ひとつの場所に留まらないから旅役者ですから。


なので、劇団暁も船生かぶき村という拠点がありつつ巡業も続けてますし。南ファミリー劇団は特殊ですね。花太郎は美山で花形として旅役者を続けてますけど。


大衆演劇だとか旅役者の背景には戦後の混乱と貧困にあったような気がするんです。テレビの普及が衰退の原因みたいに言われてますけど、娯楽の多様化の中で埋没しただけではなく、社会が豊かになるにつれて社会の日の当たらない場所と言いますか、路地裏みたいな場所が徐々に社会から隔離され、断絶されていきましたよね。


地上げによって劇場が淘汰され、東京ではほぼ消ました。


駄菓子屋も横丁も昭和の末期にかけて淘汰されました。下高井戸の商店街も閉鎖されるみたいですし。


宇都宮にあったロビンソン。あの、スピッツのヒット曲名の元になった百貨店です。地方都市から百貨店も淘汰されつつあります。ホームセンターやイオンモールに取って代わり、最近ではアマゾンなどのネット通販にシフトしつつあります。


政治家の賄賂や汚職、献金はあいも変わらず。


この人たちに投票するべきではないですよね。国民を踏み台にしてただ私服を肥やしてるだけですから。


笑いが止まりませんね。


都合が悪いことは記憶にない、東大卒の自民党閣僚。



記憶になくても試験にはパスできるんでしょうか。鉛筆転がしてパスしたんでしょうか?


そして、税金を湯水のように垂れ流してる関西万博。身を切る改革とはなんだっんでしょうか?病床削って、コロナ禍では患者を見殺しにして、その挙句がこのザマです。


値上げをするにしても、従業員に還元するならば構わないと思います。ただ単に胴元が金儲けしたいだけだとしたら、考え直すべきだと思いますね。

まあ、劇場とかライブハウスとか銭湯とか、そもそも儲かるわけではないですし、続けるだけでも大変なんでしょうけどね。


大衆演劇の役割自体は昭和で終わってると思います。平成以降はノスタルジーとしていかに存続、維持していくのか、新たなビジョンが必要になってきたのではないでしょうか。


その牽引役となって来たのが平成の三羽烏と呼ばれたとかいう大川良太郎、都若丸、恋川純弥だったような気がしますけど、彼らも不惑ですから。不惑のフワちゃんですよね。


不惑ってかつてだったら人生の終盤戦ですからね。昨今では平均寿命が伸びて、まだ中盤みたいになってますけど。


大衆演劇の場合、それ以降のスターが不在という問題がございます。二十代、三十代の座長でスターと呼べるひとが不在ですよね。


都若丸的には橘大五郎こと大ちゃんはまだまだみたいですし。


里美たかしは劇団美山の里美たかしですから。役者としてみたら、まだまだだと思います。あくまでもメンバーがいてのたかしですから。


劇団美山も何年か前に騒動があったじゃないですか。それがあって座長とか副座長とか形式的に生まれたわけですからね。本質的には何も変わってないですけど。名ばかりの後見だとか。劇団菊太郎における係長的なポジションですよね。


平成以降の大衆演劇はある意味、惰性ですからね。大衆演劇そのものに存在意義があるというよりも、なんとなく続けているものというか。赤字ローカル線に近いものがあったような気がします。儲かってるわけでもないけど、なんとなく続いている公共事業みたいな。


それをここ二、三十年、無駄だと噛みついているひとが増えて来てるわけで。行政改革だとか、構造改革だとか、事業仕分けだとか、身を切る改革だとか、手を替え品を替えつつ。


それでも政治家はあいも変わらず私服を肥やしたり、他で無駄遣いしたりしてますよね。本質的には何も変わってないんです。


維新とはなかなかのペテン師、詐欺師ですよね。未だに民主党に御立腹のひとたちは自公政権や維新に対しても同じ目線で見るべきだと思いますよ。ブーメランですからね。


大衆演劇は次世代のスターを発掘して、ネオ大衆演劇、新しい大衆演劇のカタチを作るべき時なのかも知れません。とりあえず、木戸銭を上げることから始めてますけど。


惰性からの脱却こそ、大衆演劇に必要なのかも知れませんね。劇場を闇雲に増やしたり、儲からない劇団をなあなあで続けたりするのではなく、儲かる劇場、稼げる劇団をひとつでも増やさないと存続できないと思います。


今まで棚上げにして来た増収と後継者の育成に舵取りするべきですよね。


木戸銭を上げたらそれに追従できない従来のファンが多いわけですし。大衆演劇のファンはそんなに太くはないですからね。木戸銭上げると観劇回数が減りますから。その穴埋めをどうするのか考えないといけません。新たなファンを発掘するとかしないと。


大衆演劇の観劇には一万円でも惜しくないというファンを増やさないと。そのためにはペテンも必要だと思いますね。どうしたら客からお金をせしめることができるのか。秋元康みたいに握手会とか総選挙とかイベントを仕掛けるとか、色々ありそうです。


メン地下とか、あんなクソみたいなやつらにアレだけお金が流れるのか不思議でなりません。なんであんな奴らのチェキだとかグッズにお金を出すのか。騙されてますよ。


クソみたいと言い切れるのは知り合いに何人かいるからです。俳優の成れの果てでメン地下やってるクズがいるんですよ。まあ、彼らも事務所から搾取されてるんですけどね。芸能界の底辺は大衆演劇とさほど変わりません。むしろ、酷いかも。


大衆演劇もその方向に舵を切るのか、それとも真っ当なやり方で大衆演劇の価値を底上げするのか、岐路にたたされてるのではないでしょうか。