失われた30年、90年代がターニングポイントだったのかも。 | 大衆演劇西高東低ブログ☆川崎大島劇場真夏の夜の夢★

失われた30年、90年代がターニングポイントだったのかも。

ジャニー喜多川のルーツを辿ると、高野山にたどり着くみたいです。


父親はロスに日系人向けに建てられた高野山真言宗の別院で僧正をやっていたみたいですね。日本海軍の接待などに尽力したりと政界にも人脈があった大物だったとか。



右が若い頃のジャニー喜多川。その左にいるのが姉のメリー。真ん中にいるのが父親で、その左にいるのは兄。



パナソニックの創業者松下幸之助と創価学会の池田大作が蜜月だったのは有名な話ですよね。


真言宗をルーツにして、創価学会にまで触手を伸ばしていたのは想像に難くないです。


高野山寺院では様々な催し物をやっていて、ジャニー喜多川がエンタメに目覚めるきっかけになったのは実家の寺院がきっかけだったとか。


喜多川一家は戦前に日本に引き揚げているので、捕虜として収容所送りになることはなかったみたいです。悪運があったんですね。


その後、ジャニーズというアイドルを引っ提げて芸能事務所を立ち上げたのは1960年代、高度経済成長期の真っ只中でした。


ジャニーズという名前は初代アイドルの名前から取られた名前であるとともに、ジャニーのアイドルの意味でもあったんです。年月を経て上書きされていくと共にブランド化して、すっかりアイドルの象徴みたいに成り上がってしまいましたが、元々はジャニーのアイドルなんです。


草野球チームの少年を集めてアイドルにしたのがルーツと言われてますけど、実際のところは謎です。


80年代になるとマッチに田原俊彦とトップアイドルを輩出し、芸能界に確固たる地位を築き上げつつありましたけど、この頃から暴露本を出版されていたりして、既に噂は業界人のみならず市井にまで周知されていました。


その後、SMAPのブレイクで息を引き返し、ジャニー喜多川の疑惑はうやもやのまま、男性アイドルをほぼ独占、テレビの覇権を牛耳るまでにのし上がりました。




ジャニーズが自民党に接近したのは言うまでもなく、公明党を経由してです。


自公政権で自民党と連立を組んでますからね。


マスメディアと自公政権まで後ろ盾に居れば、そりゃ逮捕されないですよ。


竹中平蔵みたいなものですからね。やりたい放題じゃないですか。


こういう人たちですからね。


ジャニーズの演出がどこか宗教っぽいなと言われるのは、そもそもジャニー喜多川の実家は真言宗だからです。


ジャニー喜多川がどこで目覚めたのかは知りませんけど。たぶん、雲隠れしている副社長が全てを知ってるとは思うんですけどね。


権力をうまく利用して自分の欲望を全て叶えた男、それがジャニー喜多川です。


稀代のぺてん師だと思います。


まあ、エンタメとしてたくさんの人たちに夢を与えたという副産物は計り知れないんですけど。


その本質には、自分好みの少年を集めてハーレムを作りたいという。


その代償として、彼らをトップスターにした。


まあ、すごい人物ですよね。


アメリカンドリームならぬ、ジャニーズドリーム。


ジャニー喜多川の後継者は誰だと思いますか?


タッキー?東山紀之?


違います。


竹中平蔵ですね。


政界をべったり入り込み、ありとあらゆる権力を駆使して搾取、中抜きしまくってる。


ジャニー喜多川は少年愛だったのに対して、竹中平蔵はカネの亡者。


維新とべったりくっついて、万博にはパソナのパビリオンまで作るみたいです。


エグいですね。


ジャニー喜多川を叩くのもいいけど、死人に口なしですからね。亡くなった人に文句いったところで虚しいだけですよ。


安倍晋三にだって言いたいことは山ほどあるけど、死人に口なしですから。


やはり、政治はきちんとしないとダメです。


自公政権がなかったら、ジャニー喜多川も竹中平蔵も安倍晋三もアレだけ暗躍することはなかったかもしれないですし。


統一教会に公安がガサ入れしていたかも知れないし、ジャニー喜多川だって民事では敗訴してますからね。刑事事件には持っていかなかったというだけで。


まあ、歴史にたらればはないですから。覆水盆に返らず、ですよね。