どうも、わたしです。

太宰ファンであるわたしが多分一番好きなのは『女生徒』です。

女って、めんどうで夢見がちで愛しいものだと教えてくれます。

これはきっと、往年のモテ男だからこそ書けたような気もします。

ネタバレ若干あるので、よろしくお願いします←

 

 

 

【「本当の」愛とか「本当の」自覚とは、どんなものか、はっきり手にとるようには書かれていない】

【嘘をつかない人なんて、あるのかしら。あったら、その人は、永遠に敗北者だ】

【真実というのは案外、自分が厭だと思っているところにあるのかもしれない】

この部分がすごく好きです。

女性っぽいですよね、なんか。それに特に、疑問をたくさんもって、答えを導きたがっているのは、若い証拠な気もする。

こういう思春期特有の不安定な感情って、その一時期しかないからとても綺麗です。

あらすじというあらすじはなく、女生徒の生活を日記のようにつづっています。

 

この、女生徒は最初は生活のリアルさを書きながら、少しずつ深い場所へ踏み込んでいきます。

理想はこうなのに、現実はこうなっている、どうすれば幸せになれるのか、と考えだします。

人や自分が今生きている意味、どんな生き方をすることが人の正しいあり方なのか、なんかも考え出してしまいます。

けれど、深みにはまって、どんどん考えを煮詰めていった先は【諦め】に似た、心変わり。

所詮、思春期が誰にでも起き、誰でも一瞬で過ぎて行く。

こんなに空想したところで、自分の痛みは誰も知ることはできないし、自分も人の痛みを知ることはできない。

とても悲しい。考えた末、自分は結局どこにでもいる少女であり、何者でもない、と結論付けます。

そして、白紙の部分を見つめていると、まるで読者は女生徒の背中を見送り、答えがでるまでそこにいなさいと言われているような気になってきます。もう戻ることはできない思春期のことをわたしはこんな風に描くことはないでしょう。

 

この話には、朝についての描写が割とあります。

朝は自信がない、と女生徒は言い、朝は灰色だ、と言います。

この部分は、大人になってしまった今も理解できる。

なんか、前夜はすごく楽しくパリピなことしてても、次の日の朝、不意に我に返る感じ。

もう前夜のようなことはできないんじゃないか、もう二度と会えないんじゃないか、あんな風に自分に自信を持つことができないんじゃないか、そんな気分になることはよくあります。女生徒はこの自信の部分というのは、若さ、も一部だと思っているんだと感じました。ふっと出てしまう「よいしょ」という言葉に怯えるところなんか、少女から女になることへの恐怖心を飛び越えて、老婆になることまで考えて怖がっている。

多感な時期だからこそ思うことかもしれません。

この話を読んでいると、少しだけ思春期を思い出して、こんな風にたくさん物事を考えて、諦めて、悲しくなる女の子はめんどくさいし可愛いし羨ましいと思う。お姫様ではないけれど、草原で本を読みながらお昼寝するような、少女が最もわたしは好きです。

 

この話は映像化もされていて、映画とアニメになっています。

ググると予告を見ることができますよ。では。

 

 

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いつか魚も溺れる