瀬戸内グローバルサミット2022への道
2011年から毎年必ず、日本のどこかの町で開催して来た「世界で闘うグローバル女子会」
昨年の2021年に、初めて断腸の思いで開催を中止する事に決めました!
10年間、いろんな事がありましたが、欠かさずに続けて来た大会だっただけに、中止の決定には、本当に苦しいものがありました。
新しい風を掴もう!瀬戸内から明日へ
世界で闘うグルーバル女子会を更にバージョンアップして新たな歴史を刻んで行きたい!
2022年は、コロナ禍で断たれた、人と人の繋がりを呼び戻し、みんなでエネルギーの交換をして、わくわく元気になりたいと思っています。
世界で闘うグローバル女子会が生れた背景
あの時の事を思い出すと、本当に胸の動悸が激しくなる。
2011年3月10日午後2時頃。
当時、うちの会社は、国道246号線(青山通り)に沿った、伊藤忠商事の敷地の中にぽつんと建てられた9階建てのビルの7階にオフィスがありました。(入居当初は永井ビルと呼ばれており、永井さんという個人の持ちビルでしたが、その後、某不動産会社の持ちビルになり、最終的には伊藤忠商事の持ちビルになり、そして今は壊されてないのです。)
1フロアー1テナントという事と、青山通り沿いにオフィスを持ちたいという思うが重なって、2004年から、その場所で仕事をしていました。隣にビルがなくて、見晴らしは最高なのですが、強い横風が来ると、揺れるという、少々やっかいなビルではありましたが、そこから見下ろす国道246の景色やいちょう並木の景色は最高でした。
明日、GWAの1回目の海外でのイベントで上海に行くんだな~と思いながら、そのオフィスで仕事をしていた午後2時頃、突然の大きな揺れが建物を襲います。今まで、体験した事のないような揺れで、言葉が出ませんし、壁のモニターや、リコーの複合機は大揺れに揺れるし・・・
一度、揺れが収まるものの、次は、更に強い揺れが襲い、椅子から立ち上がる事すらできず、みんなの顔が青ざめて来ました。やばい・・・ビルが折れるかも、
丁度、窓から見える、亀山ローソクさんの同じようなサイズのビルが、メトロノームのように揺れるのが見えました。
三度目の揺れが始まった時には、さすがに命の危険を感じて、非常階段を伝って、外に出ようと決心して、みんなで外に出ました。本当に恐ろしい揺れでした。
2011年3月11日が第1回上海国際交流会が開催される日、東北の震災の翌日です。
成田空港出発者は空港が使えず全員不参加、他に家族や仕事上の理由で不参加続出。
行けるかどうかわからない不安な一夜を過ごし、羽田便を予約していた私は、3月11日午前10 時、羽田発上海行の飛行機で予定通り飛び立ち、午後からの交流会の議長席に座る事ができました。もちろん最初は黙祷からのスタートでした。
このような背景から、みんなで日本に戻って、日本を元気にしよう!秋くらいなら落ち着いているに違いないと。それが、世界で闘うグローバル女子会のはじまりでした。
続く