会った事はなくても話が合うという人はいるもので、のりこさんもその一人でした。1時間のインタビューが終わってみると3時間でした。

小学校時代を送った環境が、海外に渡るきっかけになっている事がある。

ホール・のりこさん、生まれたのは神奈川県で、育ちは埼玉県。自分の子供の頃に海外生活をした事はなかったけど、お父様の仕事が研究職で、当時住んでいた社宅にはお父様の仕事仲間の研究者の人たちが多くて、海外に行ったり、住んだりする人も多くて、海外生活は、憧れとかそういう事より、普通に行く可能性があるものだから、良く、英語は勉強しとけよと言われていました。

友達の影響で、最初から自力で海外に行くという経験で逞しくなりました。


学生の時から演劇をやりたかったので、行くならアクタースクールがあるニューヨークに行きたいと思っていたんですが、初めていった海外は、スペインのバルセロナでした。30年くらい前の事なので、海外に行くなら業者さんに頼むしかないと思っていた私に、友達が、行きたいなら、自分で手紙書いて、自分で行くんだよと、教えてくれて、初めてのスペインは、安売りチケット探して、手紙書いて、地球の歩き方見て行きました。その時に、そういう事を教えてくれた友達にはとても感謝しています。

みんなアメリカとかイギリスに行ってる人が多かったので、どうせ行くなら違うところ行ってみたいと思って、スペインのバルセロナに行く事に決めました。語学学校に手紙を英語で書いて送ったら2週間後に返事が来たので、HISに行って、エアロフロートのチケットを取って、当時は

18万円くらいだったのですが、それが、一番安いチケットでそれに乗って行きました。

携帯もない時代に、日本からロシア経由で、ロンドンに行って、留学していた友達とピカデリーサーカスの前のバーガーキングで待ち合わせをして、そこからフランスに渡り、そしてスペインに。しかも目的地のバルセロナの前にバレンシアに行って、教会の前で待ち合わせとかもしているので、今思えば、良く無事だったなと思います。何とかなるっている根拠のない自信みたいなものがあったみたいで、海外歩きには向いてたんですね。

ひとりで初めて行った海外は、スペインのバルセロナ。当時の貴重な一枚です。

3ヶ月スペインにいて、ロシア経由で日本に帰る事になっていたのが、1日ずれて、母を心配させた事もあったんですが、父にも母にも叱られる事はなくて、迷惑かけました。
学生の間は、友達とか回りも海外に行く人もいたので、その影響もあって、バックパッカーとしてあちこちに行きましたね。1980年代頃は、口コミ情報しかないから、地球の歩き方を持って、泊まった宿でいろんな情報交換をしてました。危険なところもありますから、でもそういう時間がとても楽しかったですね。

バブル期の恩恵を受けて、俳優になりたかったので就職する気持ちは全くなかったです。 でも、母のおかげで23歳で自立。

卒業した頃は丁度バブの時期だったので、仕事はたくさんあったけど、俳優になりたいから、会社で働くつもりはなかったです。付属高校に入ったから、そのまま大学に行きなさいと親に言われたので、そのまま大学に行ったという成り行きの人生でしたね~。

23歳になってもずっとバイト暮らしで、大学時代打ち込んでいたタップダンスやめて、目標がなくなって、友達とタイに言ったりして、家でぶらぶらしていたら、さすがに親が、一人暮らしをしなさいと言われて、それで怒って家を出たんですよ。家出したつもりで、友達のところに行って、その間に、何とか自分の住む家と仕事を見つけました。

人に恵まれるというのも才能のひとつです。


友達のお母さんが自分の荷物を置いてるアパートに住んでくれる人を探していて、敷金も礼金なくて住めるというので即決して、でも家賃を払うには仕事必要と思っていたら、やはりバイトにしたらいい給料の仕事が見つかってすぐ決めました。人に恵まれていたように思います。

なかなか決められない時があって、その時は、一番辛いんですけど、決めたら結構早いんです。決めるまでは、いろいろ悩むけど、その間に、何にもしてないわけじゃなくて、あれこれ考えているんですよね、だからチャンスが来た時に掴める。

いろいろ考えていない時は、チャンスを掴んでないから、決められない間でも、いろいろ考えている事って重要なんだなと思います。

旅をしながら、やっと着地点であるイギリスが見えて来ました。


旅は好きで、いろいろ行きました。でも、そのうちに、私は何をしているんだろうかと思い出して
来て、いろんなところに行く旅は、いいけど、次から次への行くというのではなくて、何か目的がないとと思い始めていました。元々アロマセラピーが好きでしたし、旅の途中でハーブとか、そういうものにも出会う中で、もう少しアロマの事を勉強したいと思ったのと、当時英語が出来なくて、英語を話せた方がいいと思いはじめたんです。


アメリカは、ビザの関係で3ヶ月した滞在できないし、英語+アロマの資格+ビザが取れるのがイギリスだったんです。今は難しいけど、1998年の当時は、語学学校に行く許可書があれば、語学学校に行っている間のビザは簡単に取れると聞いたので、まずは、10か月の英語学校を探して、その学校の入学許可書を持ってイギリスに着いた時に見せたら1年くらいのスタンプがもらえたんです。それが23年前ですね。

元々好きじゃなかったイギリスがだんだん好きになる。


イギリスは、小さい時から憧れの場所じゃなかったし、アメリカからイギリスに到着したら、すごく寒くて・・・、即、帰ろうと思ったけど、学校のお金も払ったし、フリースを着て頑張りました。
最初にイギリスに行った時の印象も悪いけど、1998年に来た時も、とにかく寒いのが嫌で。

イギリスが好きになったのはほんの5年前くらい前からです。イギリスにいれば日本がいいと思うし、日本にいるとイギリスがいいと思ったり、その繰り返しなんですよね、たぶん、好きか嫌いかは、当然自分の心の問題なんだなと思います。

日本の歴史に興味を持つと、イギリスの歴史の良さもわかって来た。

私は元々歴史が大好きで、高校時には世界史を取っていて、海外に来たら、現地の人に聞かれることもあり、日本の事を勉強するようになりました。海外にいと、日本の事が良く見えるので、日本の事が好きになってきたんです。海外にいてその国と日本を比べる事が出来ると、日本は凄いなと思うようになって来て、日本熱が高まると、イギリスの良さもわかって来たんです。どの国にも、いいところもあれば、そうでないところもありますからね。


実は、イギリス人を好きだ思ったのは、ブレグジット(イギリスのEU離脱)の時。あの時に、この国の人は凄いなって思いました。49:51くらいでEUから離脱する事になったんですけど、決める事ができるという潔さに感動しました。日本は継続、約束を守る感じで、急にひっくり返すことをあんまりしなのでそこはそこで素晴らしい事もあるけど、イギリスはやってみて、これは駄目だと思うと、やり直すんですよ。

4人の子供が私を成長させてくれました。そして、私の居場所はここだなと思います。


私は、子供に育ててもらった感があって、もし、子供がいなかったら、日本に帰っていたかもしれませんね。でも、今は住んでいるウエールズが私の居場所だと感じています。

自然豊かなウエールズの景色


イギリスで生活する自分の子供に外国語として「日本語」を教えたいと思ったんです。

そろそろ子育ても終わるし、何かしたいなと思っていた時に、何か勉強したいと思って、カレッジに行きました。ここは、田舎なので働くところの選択肢が少ないので、インターネットが嫌いで、ブログを少し書くくらいで、コンピューターも触った事がなかったんですけど、コンピューターに慣れておいた方がいいかなと思って。

そのカレッジで、1年後、3年後、5年後、10年後にどのようになっていたいかを書けという課題が出て書いたんですよね。今見たら、その時に書いた事は実現してるので、書くのは大切ですね!


その時に書いた中に、日本語教師をやろうというのがありました。私は日本人ですけど、私の子供は、イギリス人としてここで生活しているので、日本語に触れる機会がないので、彼らに外国語として「日本語」を教えたいなと思ったんです。


自分の子供たちと日本語の勉強をし始めたんですけど、教材としての日本の国語の教科書だとダメなんですよね。日本に住んでいないから、ふきのとう、とか、ランドセルとか、日本の風物詩が見た事ないから想像できないんです。日本にいる外国人に教える教材はたくさんあるけど、海外に住んでいる子供たちで、お父さんかお母さんのどちらかは日本人で、話すのは現地語という人に使う教材がないんですよ。

斎藤先生との出会いと今後やりたい事


日本語を教えるなら日本の歴史から教えたいと思っていたところに、斎藤先生の本と出合って、先生にLearn Japanの立ち上げに協力して頂きました。

 

 

私が今後取り組んで行きたいのは、日本に住んでいない日本ルーツの子供達に日本語や日本の事を伝えたいと思っているんです。もちろん直接子供に教えるのもいいですけど、その母親とか父親とかご両親の役割も大きいので、その方達にも、日本に住んでいいない子供達に日本語や日本の事をどう教えたらいいかを伝えたいと思っています。

いざ子供に教えようと思っても、自分がきちんと知らないと伝えようがない事に、自分も良く気づかされるので。今住んでいる国も、ルーツである日本もどちらも良いところや改善した方が良いところがあるので、もっともっと学んで行きたいと思っています。

インタビュー後記
底抜けに明るいのりこさん(通称のんちゃん)の一生懸命な話を聞いているうちに、私が出来る事だったら一緒にしたいなと思うようになりました。自分の国だから知っていると思ったら大間違いで、案外知らないのが自分の国の事。海外に行くとそれに気づかれます。