吉沢亮くんが、「流星は本当にこのまま歌舞伎役者になっちゃうんじゃないかって思うほど真剣に向き合ってて」「横浜流星には負けられないって思った」と言えば、
横浜流星くんは「(吉沢くんは)女性らしい色気のある踊りをされていて。彼がそういう踊りをするなら自分はかわいらしく、華やかに、大胆にやろうと。そのヒントをくれたのは彼でした」。
二人の女形が、お互いに刺激し合いながら生み出された賜物なのだとわかる。
私の歌舞伎の観劇経験はテレビも含め10回に届くかどうかだけど、個人的に女形の魅力とは、
「男性が女性よりも女性らしいしなやかな身のこなしで生み出す艶やかな色気」
だと感じている。
特に女形の中にほのかに残る男性的なもの ー 声であったり骨格であったり ー との融合が生み出す独特のなまめかしさ。
それが歌舞伎の大きな魅力の一つになっていると思う。
先日Eテレで、吉沢亮くんのお気に入りの演目だという『弁天娘女男白浪』が放送されていたが、武家娘になりすました盗賊の男、弁天小僧役の菊五郎さんにもそれと同じものを感じた。
さて『国宝』の吉沢亮くんと横浜流星くんの女形。
流星くんは華やかさとかわいらしさを目指すと言っていたけれど、それに加え成熟した大人の女性独特の色香が漂っていた気がする。
特に喜久雄がどさ回りから歌舞伎に復帰した後の『二人道成寺』では、大胆に、表情豊かに踊る横浜くんの個性が引き立っていた。
流星くんは面長でシュッとした顔だちなので、どちらかと言うと『かわいい』というよりも「美人」と形容したくなる。
前述の菊五郎さんに感じた女形特有のなまめかしさだ。
一方、吉沢亮くんの女形。
彼の女形には次元の違った魅力があったと思う。
男性が演じる女性の美しさではなく、女性から生まれる女性の自然な美しさを感じたのだ。
白木蓮の精やまさに白鷺の化身のような、触れた瞬間にすっと消えてしまいそうな儚なさと少女のような可憐さ。透明感のある色気。
『二人藤娘』では少女にように愛らしい藤の精を。
『二人道成寺』では、どこかを見ているようで見ていない遠い眼差しと指先まで行き届く繊細な美しさを。
また印象的だったのは、ホテルの宴会場の舞台中、突如目の前に立ちふさがった客に戸惑う時の表情の柔らかさだ。
振り付け・舞踊指導を行った谷口裕和先生は「亮くんは気持ちから、流星くんは型から踊りに入るといったように、二人のアプローチも違っていて」と語っている(『国宝』パンフレットより)
吉沢亮くんの女形は、まるで女性として生まれ変わった吉沢くんが演じているようだった。
彼の中性的な魅力こそ『国宝』を芸術的な美しい作品に押し上げた大きな要因だと感じる。
