あれは確か、今から遡ること約25年前。まだ消費税が導入される前で、東京の電話番号が7桁だった頃のこと。



自分はまだ小学生だったが、すでにその頃2つのダイスをころがして遊んでいた。といってもバックギャモンをしていたわけではない。

タカラ(当時)から発売されていた「プロ野球カード」にハマっていたのだ。



このプロ野球カードは球団ごとに分かれていて、毎年12球団が各600円で売り出されていた。箱の中にはサイコロ二つと主力選手のカード30枚が入ってい
て、カードの表は選手の写真になっているのだが、裏にはサイコロ2つによる出目21通りと、それぞれ横にホームランとか二塁打とか内野ゴロとか書いてあっ
て、遊べるようになっていた。基本的には運ゲーだが、打順を組んで采配を下すあたり、監督気分が味わえて楽しかったし、負ければ悔しかった。



もともと兄が2箱買ってきたのが始まりで、家で遊んでいたが、直ぐに飽きたのか僕にくれた。それを学校に持っていって友達と遊ぶようになり、そのうち4人集
まってリーグ戦をやるようになった。早朝、まだ誰もいない教室に到着するとランドセルからカードを取り出して、二人揃うと試合開始。小一時間は遊んでい
た。11と66でホームランになることが多かったので、思えばあの頃から「いちいちッ!」「ろくろくッ!」とか言いながらサイコロを振っていたものだ。
$いやし系すたっふぎゃもん日記

出目ごとの結果は選手によって異なっていて、前年の成績に応じたものになっていて、成績の良かった選手ほどよく打った。しかしこのゲームでは打撃力しか反映されないため、投手王国で強かったはずの自分の贔屓の広島カープはこの世界では良く負けていた。

兄と遊んだ期間は短かったが、ぞろ目以外はぞろ目の倍の確率で出ること、合計は7が一番出やすく2と12が一番出難いことなど基本を叩き込まれた。小学生の自分にはこれは衝撃の事実で、この時期の兄の存在は神の如く偉大だった。



やがて中学に上がり人数が増えると、競技人口(笑)も増えて流行は加速した。二つのダイスが生み出す偶然に僕らの心は魅了されていた。早朝、昼休み、放課後
にとそこらで試合が行われ、入学後数ヶ月にして既にこのブームはヒートアップしていた。サイコロの目を細工する奴が出てきたり、勝つために手段を選ばない
時代に突入した。

カード自体の価値も上がっていき、よく打つ選手のカードは重宝されるようになった。皆が強いカードをコレクションし始め、資金力のある者はその年の12球団を買い揃えてオールスターを組むなど、バブルが起きていた。

特に自分が持っていた、2年前に三冠王を取った時の落合とバースは能力的に抜きん出ており、デッドストックだったこともあってコレクター垂涎の的だったが、
この頃既にゲームに飽きていた自分は5千円という破格のオファーを受けて売却してしまった。この頃になるとゲームを取り巻く環境も複雑になり、取引を仲介
するブローカー業を手がける奴まで現れていた。



この取引後間もなくバブルは弾け、加熱したブームは一気に終焉を迎えた。学校への持込など、問題になりすぎたこのゲームに関する一切を禁止されたのだ。江戸時代の双六もこんな感じで禁止に至ったのだろうか。



しかし学校で学ぶことは、何も授業で習うことだけではない。プロ野球カードはそういう点で、実に色々なことを教えてくれたと思う。

その後麻雀を経てギャモンを覚え、今またダイスを振って遊んでいる。いつか縁側で孫を相手にダイスを振りながら「俺もあの頃から変わってねぇなぁ」とか思う日が来るのだろうか?

そんなオイラが当日は受付でアナタをお待ちしてます。