前回、8/30に書いたブログでちらっと幼馴染のことを書きましたが、もともと僕がバックギャモンを遊ぶようになったきっかけとしては彼の影響がとても大きく、今日はその彼とギャモンを覚えた頃の話をしたいと思います。

彼と僕とは、母親同士が同級生で仲が良かったため、物心ついた頃からよく一緒に遊んでいた。家は近くなかったけど、中学生くらいになると休日に小田急線に乗って彼の家によく遊びに行ったりした。ファミコンをしたり、マンガを読んだり、モノポリーをしたり、スキーに行ったり、自転車に乗ったり、トランプやオセロをしたり、インラインスケートをしたり、麻雀をしたり、ビリヤードをしたりと、年とともに僕らの間を埋めるものも変わっていき、20年余りが過ぎた頃のこと。

僕が大学4年の卒業旅行の機内でギャモンのルールを覚えて、帰国後YAHOOで実践してみるようになった頃、ちょうど彼から偶然にも「バックギャモンって知ってる?遊んでみたいんだよね」と言ってきた。早速僕は覚えたてのルールを彼に教えると、ともに理系なこともあってかお互いこのゲームを気に入り、その時から僕らの間を埋めるものにバックギャモンが加わった。最初は二人でよくYAHOOで遊んでいたが、そのうちオンラインでは飽き足らず、誕生日のプレゼントに水道橋にある「奥野かるた」でボードを購入すると、それ以降下北のカフェやら、砧公園やら、二子玉のカレー屋やら、アムステルダムやら、いろんなところに持ち運んで遊んだりした。
始めは無茶苦茶だった。ダブリングキューブは使わず、1Pマッチのみ。僕はオープニングで2・1が出ると、まず6/5、6/4と動かしていた。やがて彼は持ち前の好奇心と勉強熱心さでネットで戦術を研究しだし、ルールを教えたはずの僕が今度は逆に彼からキューブの使い方、アタッキング・ランニング・バックゲームなどの基本戦略、その他いろいろ教わるようになっていた。僕はYAHOOで始めた頃に負けまくったためレーティングが1350まで落ち込みなかなか上がらなかったが、そんな僕を横目に彼は2500までレーティングを上げていた。ゲームも僕の3倍はこなしていた。

やがて医者の卵の彼は本業が忙しくなり、地方へ飛んでしまったこともあり、ここ2、3年はすっかりご無沙汰のようだ。が、去年彼を訪ねに沖縄に行って久々に対戦した時も相変わらず腕は衰えておらず、ビールを片手に蒸し暑い中、暑がりな僕と寒がりな彼はエアコンのリモコンを奪い合いながら夜を徹して遊んだ。人気の少ないビーチの岩陰でも、灼熱の太陽が照りつける中汗だくになりながら遊んだりもした。
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そんな彼はそもそもなぜギャモンに興味を持ったのか?それは彼が当時ロバート・ハリスさんの本に出会い、影響を受けたからだった。そして、僕は逆に彼からギャモンをきっかけにロバート・ハリスさんの本を教えてもらい、僕もまた影響を受けた。今回のギャモンフェスティバルでは、そんな僕らにとって憧れのハリスさんが参加されるということで、生のハリスさんをお目にかかるのが今から非常に楽しみだ。